宗次郎さんの音楽との出会いのことや、その後受けた影響、そして音楽の道に進む大きなきっかけとなったことなどを書いてみたいと思います。
オカリナ奏者の第一人者で、日本のヒーリング・ニューエイジ音楽の代表的アーティストとして活躍されておられます宗次郎さん。
僕が最も尊敬する音楽家の一人であり、僕が音楽の世界へと進む、大きなきっかけを与えてくれたのが、宗次郎さんの音楽でした。
宗次郎さんの音楽と出会ったのは、中学生の頃でした。
僕は母親がエレクトーンの講師をしていたことから、幼少時より音楽に親しみ、楽器はハーモニカを好んで、よく吹いていました。
聴く方でも、母親が持っていたクラシックのレコードや、喜多郎さんのシルクロードのテープなどをよく聴いていました。(子供の頃から、どちらかというと、静かな曲やヒーリング的な音楽を好んでいたようです。そういう意味では、宗次郎さんと共に喜多郎さんの音楽も、僕の原点と言えます)
こうして音楽に親しみを持ってはいたものの、あくまで趣味として楽しんでいた感じで、本格的に習い事として音楽を学ぶという姿勢は特にありませんでした。
母親も、無理にエレクトーンや音楽を教え込んで、嫌になってしまうよりは、自然に好きになってくれた方がいい、そして本気で音楽を学びたいと心に決めた時に、教授をした方がいいという考えだったようです。
そんなわけで、ハーモニカやリコーダーを吹いたり、時にはエレクトーンの鍵盤を、適当に弾いて音を鳴らしては、遊んで楽しむ程度で、本格的に音楽理論やソルフェージュなどを学ぶことなく、子供の頃を過ごしました。(とは言え、こういった子供の頃の、音楽を心から楽しむ体験が、その後の大きな糧となっている気がします)
また、小学生の頃は、ベートーヴェンやシューベルトといった、作曲家の伝記を読むのが大好きで、僕も大きくなったら作曲家になりたいなあ…などと秘かに憧れていたこともありました。
一方で、子供の頃より、漠然としたイメージではありましたが、何かこう、大自然の中で笛(管楽器)を演奏するということに、強い憧れのようなものを感じていました。(小学校の図書室にあった、手塚治虫さんの漫画の中で、動物たちに囲まれて笛を吹く、といった描写の絵を見て、純粋にカッコいい!と思ったのがきっかけだったかと思います。たぶん『ハトよ天まで』だったような気がしますが、どの作品かは正確には覚えていません…)
大自然の中で笛を吹くことへのあこがれを心に秘めつつ、専門的な音楽教育は受けずに、ただ音楽を純粋に楽しむ心を育みながら、中学生となっていた僕に、母親が紹介してくれた、ある一人の音楽家。
それが、オカリナ奏者の宗次郎さんでした。
きっと僕が気に入るだろうと、TV出演時の宗次郎さんの演奏をビデオに録っておいて、見せてくれました。
当時(1992年)、関西テレビ(フジテレビ系列)の番組で、毎週土曜日の朝に、「土曜大好き830」という、板東英二さんが司会を務めるワイドショー番組が放送されていました。
いろんなゲストとトークをしたりする内容でしたが、その中で、季節ごとに宗次郎さんが北海道や四国などの大自然を訪れて、オカリナの演奏をするという旅番組仕立ての企画がありました。
僕が見たそのビデオは、秋の知床への旅で、一面のススキの原野の中で宗次郎さんがオカリナを演奏し、遠く草原の中では、シカなどの野生動物が、その音色に耳を傾けて聴いている姿が映し出されていました。
わずか2~3分程の映像でしたが、僕に強い衝撃と大きな感動を与えました。
これが、僕が初めて聴いた、宗次郎さんのオカリナでした。
この宗次郎さんのオカリナの音色が、僕の音楽人生を変えました。
今でも、この時に受けた大きな感動は、すぐに思い出せるほど、心にしっかりと刻まれています。
この時の映像で聴いた宗次郎さんの音楽こそ、僕があこがれ、理想とするような音楽そのものでした。
すぐさま、宗次郎さんのCDを買い、毎日毎日聴くようになりました。
この時に買ったのが、アルバム『木道』でした。このCDが、人生で初めて買ったCDです。
もちろん、自分でもオカリナの演奏に挑戦したいと考え、始めは入手しやすいナイト製のオカリナを買い、毎日練習するようになりました。
その後、よりピッチの安定したアケタ製のオカリナを入手し、毎日毎日吹きまくっていました。
宗次郎さんのCDも、小遣いをためては次々に購入し、まさに宗次郎&オカリナ漬けの日々を過ごしました。
そんな中、もっと音楽のことを知りたい、学びたい。そして自分でも曲を作ってみたいと考えるようになり、楽典や作曲法などを、独学で自己流に学び始めました。
そして、高校一年の秋、初めて宗次郎さんのコンサートを訪れ、ついに宗次郎さんの生演奏を目にする日がやって来ました。
時は1993年9月28日火曜日、午後6時30分。大阪・厚生年金会館大ホール。
僕は、宗次郎さんのコンサート『水心』コンサートツアー“水府大演奏旅行”大阪公演の会場にいました。
生まれて初めて生で見る、宗次郎さんのコンサートでした。
(この年、宗次郎さんは、アルバム『水心』の発売に合わせて、9月24日から12月26日にわたり、全34公演の大規模なコンサートツアーを実施されました。)
コンサートが始まり、シンセサイザーによる鳥のさえずりのSEをバックに、宗次郎さんが吹くオカリナの音色が流れてきました。曲は「水心」でした。
初めて聴いた宗次郎さんのオカリナの生演奏。この時の「水心」の音色は、いまだに耳に残っている気がします。あこがれの宗次郎さんの音色を聴いている…。多感な高校一年の僕にとって、夢のような2時間を過ごしました。
同じ年の10月、再度大阪で宗次郎さんがコンサートをされることを知りました。
四天王寺での奉納コンサート。こちらは入場チケットは抽選のみでしたが、運よく当選しました。
1993年10月25日。
秋の夜、空気が少し冷え込んでくる中での、四天王寺・野外コンサートでした。
ライトアップされた四天王寺の伽藍をバックに、秋の凛とした空気の中を響き渡る、宗次郎さんのオカリナの音色…。
曲目は一か月前に、厚生年金会館で聴いたものと全く同じ内容でしたが、屋内と野外とでは大きく異なる雰囲気に、さらなる感動を覚えました。コンサートホールもいいが、野外(特にお寺や神社のような、歴史を感じさせる会場)では、もっといいと思いました。
まぶたを閉じれば、この時の、四天王寺の仏像をバックに「水と土への祈り」を演奏する、宗次郎さんのお姿が思い出されます。
この年(1993年)、宗次郎さんは、アルバム『木道』『風人』『水心』の自然三部作で日本レコード大賞企画賞を受賞されました。現時点でも、日本レコード大賞を受賞した唯一のオカリナ奏者となっています。
宗次郎さんのコンサートでの感動を胸に、オカリナの練習や音楽の勉強に、さらに身が入るようになって行きました。
楽器を奏でる楽しさ、音楽を学ぶ楽しさに熱中していく僕。
やがて、高校2年生になった頃、少し心の中で変化が生じてきました。
それは、オカリナ以外の楽器への興味、宗次郎さん以外の音楽家への興味、楽器を演奏するだけでなく曲を作ることの楽しさの芽生え、そして、僕も宗次郎さんからもらったような感動を、他の人にも与えられるような音楽家になりたいと夢が膨らみました。
オカリナを吹いている内に、雰囲気や音色がよく似ている、色んな民族楽器の笛や様々な民族音楽にも興味が湧いてきました。
その一つが、アンデスの笛・ケーナでした。
オカリナとともにケーナのことも勉強し始めて、またシンセサイザーにも興味が湧いてきました。
様々な笛や楽器に興味が出て来たものの、いわゆる普通の吹奏楽器(フルートとかクラリネットなど)には、それほど興味は出ませんでした。
やはり、メカニック(キーとか)が一切ない、ただ穴を開けただけのシンプルで、素朴なつくりの民族楽器が好きだったのだと思います。
一方、CD屋さんに通い、何度か宗次郎さんのCDを買う内に、自分が好んで聴いているような音楽が、“ヒーリング”とか“ニューエイジ・ミュージック”と呼ばれるようなジャンルの音楽であることを知りました。
宗次郎さんのCDを探すと同時に、同じジャンルのコーナーの棚に並んでいる、他のアーティストの作品にも興味が出て、色々と聴いていくようになりました。
CD屋さんで、宗次郎さんのCDが置いてある棚には、大抵、喜多郎さんのCDも一緒に置いてありました。
喜多郎さんは、小学生の頃からシルクロードの音楽に親しんでいたので、宗次郎さんのCDと同じように買い集めるようになりました。『飛雲』や『天空』『古事記』といったアルバムをよく聴いていました。
さらに、同様にニューエイジコーナーの棚に並んでいる、他のアーティストのCDも、聴いたり集めたりするようになりました。
例えば、東北に根ざしたシンセサイザー音楽を発表していた姫神(星吉昭)さん。宮崎駿アニメをはじめとした数々の映画音楽で活躍されていた久石譲さんなども、好んで聴くようになりました。
宗次郎さんのコンサートに行って、生演奏にふれる喜びを知ってしまっていたので、この年(1994年)には、喜多郎さんや久石譲さんのコンサートに足を運びました。
その結果、この頃にはオカリナの演奏だけでなく、作曲やキーボードの演奏、民族音楽なども真剣に学ぶようになり、本格的に音楽系の大学に進み学びたいと決心しました。
そして、自らもニューエイジ・ミュージックの音楽家となり、多くの人に感動を与えられるようなアーティストになりたいという夢を抱きました。
そのことを両親に伝え、エレクトーン講師であった母親に師事し、音楽理論、ソルフェージュ、鍵盤楽器演奏法などを本格的に学び、受験に向けて特訓の日々が始まりました。
宗次郎さんの音楽との出会いがきっかけとなり、民族音楽やニューエイジ・ミュージック全般を好きになって行き、オカリナの演奏から、作曲や鍵盤楽器演奏も本格的に学び始めた僕。音楽系大学を目指して奮闘する日々が続いていました。
ただ、いくつかネックがありました。
当時、音楽の大学は、クラシック音楽や現代音楽を学ぶカリキュラムの学校がほとんどで、僕が志すニューエイジ音楽を学べるような、自由な学習環境の学校を探す必要がありました。
また、入試でクラシックのピアノ演奏の実技試験が課されるのが通常だったため、オカリナ・ケーナの演奏や、鍵盤楽器とはいえエレクトーンしか弾いたことがなく、ポピュラー音楽の理論に基づいた演奏しかできない自分が、受験できる学校を探す必要がありました。
それらの条件を満たす学校が、大阪芸術大学の音楽学科でした。
今でこそ、クラシック以外のジャンルの音楽や、ピアノ以外の楽器を演奏する人にも、広く門戸を開いて、受け入れている音楽系大学は多くなりましたが、当時は大阪芸大くらいで、稀少な存在でした。そういう意味では、時代を先取りしていた大学だったと言えます。
オープンキャンパスで大阪芸術大学を訪れ、南河内の山々が一望でき、豊かな自然に囲まれた環境と、自分が学びたいジャンルの音楽を自由に追求できる学習環境に惚れ込み、志望校に決めました。(とは言え、入試では音楽の専門試験・音楽理論や基礎的な実技試験が課されるので、引き続き音楽の勉強に取り組みました)
受験勉強の一方で、オカリナやケーナも練習し、高校3年生になりました。
そして、1995年春。宗次郎さんがオーケストラと共演するコンサートが開かれると知り、足を運びました。
1995年4月28日金曜日、大阪ザ・シンフォニーホールへ。
僕が聴きに行った、通算3度目の宗次郎さんのコンサートです。
この日、宗次郎さんのオカリナによる、世界初のオカリナ協奏曲「INTO THE SILENCE」の初演コンサート『風・大地・緑の歌』が開催されました。
そのオカリナ協奏曲の他、アルバム『木道』などから、宗次郎さんのオリジナル曲のオーケストラアレンジバージョンや、オカリナ&オーケストラ版「コンドルは飛んで行く」などが演奏されました。
このオカリナ協奏曲「INTO THE SILENCE」を作曲されたのは、後に大河ドラマ『葵・徳川三代』『義経』や、朝ドラ『あぐり』、映画『レッド・クリフ』などの音楽で大活躍される、作曲家・岩代太郎さんでした。
フル・オーケストラの中で響き渡る、宗次郎さんのオカリナの音色も見事でしたが、何より、岩代太郎さんの壮麗なオーケストレーションの素晴らしさに心打たれました。
この頃を境に、僕はオカリナをあまり吹かなくなり、作編曲の方をより重点的に学んでいくようになりました。
宗次郎さんのCDや、民族楽器の笛の音色は相変わらず大好きでしたが、オカリナの演奏者としては、自分に限界を感じるようになりました。
僕の中で、宗次郎さんのオカリナがあまりにも偉大すぎて、自分自身のオカリナの腕前が、どんどん上手くなってきていたとしても、その音楽性や演奏上の表現・テクニックは、あくまで宗次郎さんのコピーでしかなく、そんな宗次郎さんの影響下でしかない自身のオカリナの演奏を続けて行くよりも、音楽家を目指すうえで、もっと自分自身の音を追求して行かなくてはいけない、自分自身の音楽性を、楽曲を生み出して行かなくてはいけないと、強く考えるようになりました。
折しも、宗次郎さん以外の様々なアーティストの曲を聴くようになり、作編曲やエレクトーンの演奏を本格的に学び、受験勉強が熱を帯びて行く中で、やがて僕は、オカリナを手にとることを辞めました。
オカリナの演奏は辞めたものの、宗次郎さんのCDは変わらずに愛聴していた僕。
大阪芸術大学に進学した僕は、オーケストラ音楽や映画音楽を積極的に学ぶようになり、また、雅楽など民族音楽の授業も受け、ミニマルミュージックや電子音楽も学びました。
楽器の方は、アルバイトをして貯めたお金でシンセサイザーを買い、エレクトーンからシンセサイザーの演奏・作曲へと、シフトして行きました。
オカリナや笛から、すっかり興味が離れてしまっていた僕は、次第に宗次郎さんの音楽もあまり聴かなくなって行きました。
月日が流れ、大学卒業後も地道に音楽活動を続けていた僕は、シンセサイザーを使い、ヒーリング・ニューエイジミュージックのオリジナル曲を作っては、発表していました。(20世紀の頃とは異なり、今はYouTubeなどで、個人で活動しているミュージシャンが、自分で自由に作品を発表できる、いい時代になったと思います)
2010年代になり、変わらずシンセサイザーで楽曲制作を続けていましたが、次第に、自分自身の音楽には、何かこう…“核”となるものが、もっと必要なのではないだろうかと自問するようになりました。
他の人にはない、自分だけにしか表現できない音楽を、さらなるオリジナリティーを模索しました。
それまではシンセのみのインスト音楽でしたが、新たなスタイルとして、歌を作ることに挑戦し始めました。
歌と言っても、僕自身が歌うわけではなくて、当時、隆盛を極めていたボーカロイド(歌声合成ソフト)をとり入れた曲作りを行いました。
ボカロP(ボーカロイド曲制作者)として活動していた間は、ツイッターなどを通じ、同様にボーカロイドの曲作りをされている方々とも交流が生まれ、それなりに楽しい時期を過ごしました。
それでも、さらに自ら独自の音楽を模索し、追求しました。
その為に、自らの原点を見つめ直そうと、学生時代に影響を受けた偉大な音楽家のコンサートに行き、生演奏を聴こうと考えました。
2014年9月には喜多郎さん、同年12月には久石譲さんのコンサートに行きました。
お二人のコンサートは大変素晴らしく、とても感動できました。
でも、もう一人いる…。そんな思いにとりつかれました。
コンサート情報などに目を通す内に、その答えはすぐに見つかりました。
オカリナ奏者の宗次郎さん!!
2015年3月に、宗次郎さんが大阪の貝塚市でコンサートをされることを知り、すぐさまチケットを購入しました。
そして、2015年3月28日土曜日。僕は貝塚市へと向かいました。
1995年の春以来、実に20年ぶりの、通算4回目の宗次郎さんのコンサートでした。
高校3年の時以来、ちょうど20年ぶりに、通算4回目の宗次郎さんのコンサートを聴こうと、2015年3月、僕は大阪・貝塚市のコスモスシアターを訪れました。
コンサートは、貝塚コスモスシアターの中ホールで行われ、宗次郎さんのオカリナに、ピアノ、ギターの3人だけという、非常にシンプルな編成でした。
(1回目と2回目の時は、キーボード、ギター、ベース、ドラム、パーカッションというバンド編成。3回目がオーケストラでしたので、この日のコンサートはそれらと対比しても、とてもシンプルだなあという印象で会場に行きました)
会場で配られたプログラムに目を通しながら、客席につきました。
(この日のコンサートの演奏曲目)
「水心」「春の小川」「夕焼け小焼け」「赤とんぼ」「小さい秋みつけた」「雪の降る街を」「鳥の歌」「コンドルは飛んでいく」「この星に生まれて」「大黄河」~休憩~「天上の祈り」「森のこだま」「森に還る」「春の扉」「故郷」「かあさんの歌」「故郷の原風景」「母の歌」「天空のオリオン」~アンコール「大きな古時計」「Thanks to the earth」
オリジナル曲とよく知られた抒情歌を織り交ぜたプログラムでした。
「水心」「大黄河」「故郷の原風景」など、よく知っている曲もありましたが、全く知らないオリジナル曲もありました。それもそのはず、僕が宗次郎さんのCDを聴かなくなっていた10数年の間にも、宗次郎さんは、コンスタントにオリジナルアルバムを発表し続けておられたのですから。(当時の)最新のアルバムは、2013年発表作『オカリーナの森からⅡ』となっていました。
コンサートが始まり、宗次郎さんがステージに登場されました。
「宗次郎さん、年とりはったなあ…」とか思いつつ(もっとも、自分もおっさんになりましたが…)懐かしい思いで、演奏に耳を傾けました。
宗次郎さんのオカリナの音色に包まれていると、中学の時に宗次郎さんの音楽に出会ったことや、オカリナに夢中になったこと、音楽家を志したことなどが、次々と思い出されました。そして、まるで清らかな水が泉から湧くかのように、大きな感動が思い出と共に、心に湧き上がって来ました。
宗次郎さんのCDが欲しい!
矢も楯もたまらず、コンサート第1部の後の15分休憩に、ロビーで販売していた宗次郎さんのCDの内、最新アルバムの『オカリーナの森からⅡ』を購入しました。実に、約20年ぶりに買った宗次郎さんのCDでした。そして、CD購入者はコンサート終演後に、サイン会に参加できることを知りました。
宗次郎さんに直接お会いできる!
あまりのことに興奮を覚えました。
コンサート第2部も大変素晴らしく、「天上の祈り」「母の歌」にはこの上なく感動し、アンコール最終曲の「Thanks to the earth」を聴き終わるころには、この20年間の空白を埋めるかのように、僕の心は、宗次郎さんの音楽に対する深い感動で満たされていました。
このコンサートは、ピアノとギター(マンドリンの持ち替え有)の伴奏のみという、シンプルで素朴なものでしたが、むしろこの方が、宗次郎さんのオカリナの音色を、より深く味わうことができると思いました。
終演後のサイン会。
中学の頃からのあこがれの人、あの宗次郎さんが目の前にいる、言葉を交わせる。僕は緊張すると同時に大きな喜びを感じました。
順番が巡って、僕の番になりました。
「よろしくお願いします。」僕はCDを差し出しました。
「ありがとうございます。」宗次郎さんがサインして下さっている間に、少し話しかけてみました。
「実は今日、高校時代以来、20年ぶりに宗次郎さんのコンサート、聴かせていただきました。実は子どもの頃、宗次郎さんの音楽から影響を受けて音楽を始めまして、今、こんな活動をしています。畏れ多いのですが…こんなサイトで曲の発表しています。」
勢いとは言え、あろうことか、僕の曲のサイトの案内をお渡ししてしまいました。
「そうですか!」宗次郎さんはにこやかに受け取って下さいました。
僕は深くお礼を言って、その場を後にしました。
後になって考えれば、とてつもなく畏れ多いことをしてしまったと思いましたが、宗次郎さんと直接言葉を交わせた喜びで、最高の気分でした。
初めて直接にお会いできた宗次郎さんは、その音楽と同じく、素晴らしい人柄のお方でした。
このコンサートは、それまでに行った宗次郎さんのコンサートの中で、ベスト・コンサートとなり、決して忘れることのできないコンサートとなりました。
そして、今後、関西で宗次郎さんのコンサートが開かれる際は、必ず行くようにしようと、心に決めました。
この日から、わずか約2週間後の4月10日。再び宗次郎さんのコンサートに訪れる機会がやって来ました。
20年ぶりの宗次郎さんのコンサートを聴き、深い感動に包まれた、大阪・貝塚公演。
その後、この時にサインしていただいた最新のアルバム『オカリーナの森からⅡ』を毎日聴きました。
高校の頃によく聴いていた『木道』『風人』『水心』などと比べて、宗次郎さんの作曲家としての円熟味が増してきている、音楽性・表現性がさらなる高みにのぼって来ていると感じられました。
今後、関西でコンサートがあれば、絶対に毎回、聴きに行くようにしようと決意していました。
そんな折、4月10日に、京都・平安神宮で宗次郎さんの野外コンサートが開かれると知り、行くことにしました。通算5回目の宗次郎さんのコンサートです。
京都・平安神宮紅しだれコンサート。
毎年、様々なアーティストが、平安神宮の庭園にて野外ライブを行い、桜を愛でながら生演奏を楽しむ、というイベントでした。
そして、この日の演奏を担当するアーティストが宗次郎さんでした。
コンサートは完全に立見で、庭園を周遊しながら演奏を聴くというスタイルでしたが…あいにくの雨!しかも、かなり冷え込んできていました。
そんな中、宗次郎さんのコンサートが始まりました。
今回は、宗次郎さんのオカリナに、今井博子さんのバイオリン、あとはあらかじめ用意されていた、音源による伴奏でした。
京都・平安神宮という場所にあわせて、和風曲を中心としたプログラムでした。
冷え込んだ空気…雨に濡れた桜がライトアップされ、夜空に浮かび上がります。
幻想的な雰囲気の中で聴いた宗次郎さんのオカリナ…最高でした。
やっぱり、僕は笛の音が大好きなんだと悟りました。
演奏された曲の中でも、「古~いにしえみち~道」「いにしえ~万葉のこころ」「炎~求道~」といった、アルバム『古~いにしえみち~道』からの曲が、平安神宮の空気感にマッチしており、最高に素晴らしく、これらの曲が瞬時に大好きになりました。
『古~いにしえみち~道』のCDが欲しい!と思いましたが、あいにく売り切れていました。
ネットなどで入手することも可能ですが、やはり宗次郎さんからサインをいただきたい!と少し欲が出て、次回にコンサートを訪れた際に、絶対に入手しようと決めました。
大阪貝塚、京都と、短期間の内に宗次郎さんのコンサートを聴き、自らの音楽的な原点は笛なんだと再認識し、自分が求めていた音楽的な“核”が何なのかを悟った僕。
とは言え、かつてオカリナを辞めた時の理由(オカリナではあくまで宗次郎さんのコピーの音楽性でしか表現できず、自分自身の音・表現・音楽性を追求しなければならないという思い)から、オカリナを再び手にとって演奏しようとは考えませんでした。
それよりも、オカリナ以上に、自分自身の表現や、自分ならではの音・表現・演奏を実現できる笛はないだろうかと、模索を始めました。
20年ぶりの宗次郎さんのコンサートにより、自らの中に眠っていた“笛への愛”が覚醒した僕は、自分ならではの音楽性の表現が可能な、民族楽器の笛を探求しました。
そんなある日、とあるYouTubeの動画が目にとまりました。
スペインの笛奏者カルロス・ヌニェスによる、ケルトのホイッスルの演奏でした。
聴いた瞬間「これだ!!」と思いました。
探し求めていた答えが見つかった瞬間でした。自分が演奏する笛はこれだと直感しました。
早速、この動画を紹介されておられたサイト“ケルトの笛屋さん”で、マイケル・バーク製のティン・ホイッスルのC管とD管を購入。そして、サイトの運営者であり、ケルト・北欧の笛演奏家のhataoさんの著作『地球の音色~ティン・ホイッスル編』も併せて購入しました。
届いた笛を早速吹きました。
かつて、オカリナやケーナを吹いていたおかげで、すんなりと手になじみ、音も安定して出すことができました。
その後、さらに色んな調の曲も演奏したいと考え、ティン・ホイッスルからロー・ホイッスルまで、一通りすべての調のホイッスルを集めていきました。
ティン・ホイッスルは、元来はアイリッシュ音楽を演奏する笛です。
ですので、この笛に興味を持ったり、吹かれる方は、アイリッシュ音楽を愛好される方やケルト音楽を志向される方がほとんどだと思いますので、僕のように、ヒーリング・ニューエイジ音楽志向から、演奏される人は珍しいかもしれません。
吹き始めた当初も、宗次郎さんの曲を吹いては練習していました。
とは言え、ティン・ホイッスル演奏を学ぶ上で基礎となるのは、やはりアイリッシュ音楽での演奏法です。
その思いから、hataoさんの『地球の音色』を隅々までみっちり読み込んで、本に掲載された課題曲を毎日練習し、アイリッシュの演奏法を身に付けていきました。
その一方で、宗次郎さんの音楽の素晴らしさを再認識した僕は、空白の期間を埋めるべく、宗次郎さんのアルバムを次々に集めていきました。
こういった具合に、アイリッシュと同時に宗次郎さんの曲や自分のオリジナル曲など、様々なジャンルの曲を、ティン・ホイッスルで吹いて練習する日々が続きました。
ティン・ホイッスルの演奏を始め、毎日練習する中で、宗次郎さんのCD集めも行って行く僕。
3か月ほど経った頃、自らの新曲で初めて、ティン・ホイッスルの音色を吹き込んでみることにしました。それが、「平和の星に咲く花」という曲です。
平和への祈りをテーマにしたこのボーカロイド曲で、笛の音色を取り入れ、非常に満足のいく仕上がりとなりました。
この曲をもって、ボーカロイドを使った曲を作るのは一旦終了し、今後はティン・ホイッスルをどんどん活かした演奏・作曲活動をしていこうと決心しました。
そして、今までは曲作りをメインに活動してきましたが、ライブ演奏にも積極的に挑戦していこうと考え、地元の音楽祭に出演した際、現在ともに演奏活動をしている、マンドリン奏者のBunKan氏とも出会うことができました。
さらに、今までに作った自身のボーカロイド曲を、ティン・ホイッスルでセルフカバーしていくことも開始しました。
新たな活動を展開していく最中、2015年12月23日。大阪・枚方で開催の、宗次郎オカリナ生活40周年記念コンサートに出かけました。
通算6回目の宗次郎さんのコンサートでした。
この40周年記念コンサートは、先の3月の貝塚公演の際のMCで、宗次郎さんご自身により開催の意向が発表されていましたので、絶対に聴きに行こうと決めていました。
記念コンサートというだけあって、楽器編成も、宗次郎さんのオカリナに、ピアノ&シンセ、2ヴァイオリン、ビオラ、チェロ、ベース、チャランゴ&ケーナ、ギター、ドラムス&パーカッションというゴージャスな編成でした。
曲目も、大黄河時代の初期の頃の作品や、自然3部作の曲といった往年の名曲がぎっしりと詰まった、大変聴き応えのあるコンサートでした。
(40周年コンサート枚方公演・曲目)
「大黄河」
「道」
「月の下で」
「感謝の歌」
「無垢」
「凪」
「風が谷間を下りてくる」
「大地に生きる」
「安堵の風景」
~休憩~
「愛しの森a-moll」
「エンサールの森」
「水心」
「悲しい水」
「水の妖精」
「あゆみ」
「まほろば」
「至福の海」
「夢街道」
「故郷の原風景」
~アンコール~
「水舞竜」
「天空のオリオン」
「夢」
途中の15分休憩には、ロビーで、以前の平安神宮の際に買いそびれていたアルバム『古~いにしえみち~道』や、この日のコンサート・アレンジのスタジオ録音による40周年記念盤『40th Anniversary of Ocarina Life』などを購入。コンサート後のサイン会に備えました。
また、この休憩時間に、隣の席の宗次郎さんの大ファンとおっしゃる御婦人と会話をし、色々と宗次郎さん談義をして楽しみました。
アンコールでは、宗次郎さんが危うく「天空のオリオン」を演奏するのを忘れて、飛ばしてしまいそうになるというハプニングもありましたが、全22曲の熱演でした。
中でも、僕の心をとらえたのは「至福の海」でした。
原曲では、イントロや間奏部でフルートが使われていますが、この日はチャランゴを演奏されていた、イリチ・モンテシーノスさんのケーナ演奏によるアレンジとなっていました。
ケーナはオカリナとはまた異なる、とても心地よい響きで、宗次郎さんのオカリナの音色と響きが溶け合って素晴らしかったです。
やはり僕は、オカリナやケーナやティン・ホイッスルといった民族楽器系の笛の音が、心から好きなんだなあと、客席でしみじみとしながら聴いていました。
終演後のサイン会では、購入した『古~いにしえみち~道』や『40th Anniversary of Ocarina Life』にサインしていただきました。
3月に僕と貝塚でお会いしたことは、宗次郎さんは覚えてはおられない様子でしたので、「宗次郎さんの音楽から、いつも力(パワー)をいただいて、僕も音楽活動を頑張って行っています。」とお礼の気持ちを伝えました。
すると、笑顔で握手をして下さいました。
宗次郎さんと直接言葉を交わすのは、この日が2度目でしたが、本当に素晴らしいお人柄に感激感動でした。
もっともっと頑張って行こうとの決意を胸に、僕にとって大きなターニングポイントの年となった2015年が終わりました。
振り返ると、僕の音楽人生の中で大きな転換点には、必ず宗次郎さんの存在があるんだなあと思いました。
そして2016年。
僕と同じく、高校時代に宗次郎さんから影響を受けられて、現在精力的に活動されている、ある音楽家の方との出会いを迎えることになります。
宗次郎さんの枚方公演に行く前の頃に、僕は一つの決心をしました。
それは、それまで独学・我流で吹いていたティン・ホイッスルを、さらに本格的なテクニックを学びたい、さらなる上達を目指したいと考え、愛読していた『地球の音色~ティン・ホイッスル編』の著者で、ケルト&北欧の笛演奏家のhataoさんに一日集中レッスンを申し込んで、正統的で且つ教則本に載っている内容以上の様々な技術を稽古していただき、ご指導をお願いしたいと考えました。(一日集中レッスンは、hataoさんのご自宅で、朝から晩までみっちりと教えていただける内容でした)
この、2016年2月11日に受けた、hataoさんのレッスンは実り多いものでした。
この日のお昼休憩には、先生と一緒に昼食をとりましたが、その際、様々な音楽のことを話しました。
その中で、話題となったのが宗次郎さんでした。
実はhataoさんのブログをあらかじめ読んでいて、宗次郎さんの和歌山公演の際に、hataoさんが出演されたことや、宗次郎さんのアルバムの中で『光の国・木かげの花』がお好きなことなどを知っていましたので、そういった話や、僕が宗次郎さんから受けた影響や、ターニングポイントには必ず宗次郎さんの音楽があったことなどをお話ししました。
hataoさんもまた、高校生の頃に様々な音楽に出会い、その中でもよく聴いておられたのが宗次郎さんだったとのことで、同じく宗次郎さんの音楽を愛する身として、とても嬉しく思いました。
宗次郎さんが茨城県常陸大宮市で運営されているオカリナの聖地“オカリーナの森”。
その“オカリーナの森”のようなイメージを参考にしつつ、hataoさんは、日本におけるヨーロッパ伝統音楽の発信拠点を作り上げていくという夢に向かって、邁進しておられます。
アイリッシュ・ケルト&北欧音楽がご専門のhataoさんと、ヒーリング・ニューエイジ音楽を専門にしている僕。
専門とする音楽ジャンルは違えど、宗次郎さんの音楽がきっかけとなり、素晴らしい出会いが得られたことは、僕の人生にとって大きな財産となりました。
宗次郎さんとhataoさんには、深く深く感謝しております。
レッスンの後、hataoさんから教わった技術をしっかりと復習し、自分のモノにして、自作曲の演奏などに活かし、その後、様々な音楽祭に出演したり、いろんなイベントで演奏したりと、笛の演奏の腕前をどんどんと磨いていきました。
さらに世界的なホイッスルの名手、ジョーニー・マッデンやショーン・ライアン、カルロス・ヌニェス、メアリー・バーギン、ブライアン・フィネガン、ガヴィン・ウィランなどのCDを買い集めたり、YouTubeで演奏を聴いて勉強しました。(その後、ジョーニー・マッデンとショーン・ライアンのお二方は、来日公演の際にコンサートに出向いて、生演奏を聴く機会も得られました。特にジョーニー・マッデンは最も大好きで、かつ影響を受けたホイッスル奏者です。)
一方、2016年には、いつ宗次郎さんのコンサートに行けるかな?と、関西でのコンサートを心待ちにしていましたが、この年・2016年には、宗次郎さんの関西でのコンサート予定はありませんでした。
それでも、一年の間に最低1回は宗次郎さんのコンサートに行きたいと考え、宗次郎さんが来られないのなら、こちらから出向こうと決心し、2016年8月、岐阜県本巣市のコンサート会場へと向かいました。
通算7回目、そして関西以外の地では、初めて聴く宗次郎さんのコンサートでした。
2016年8月20日、僕は岐阜県本巣市の山奥の根尾というところにやって来ました。
根尾は樹齢1500年を超える桜の古木“淡墨桜”が有名な地で、この淡墨桜のほとりで、毎年8月に宗次郎さんが野外コンサートをされておられて、1993年よりスタート、2016年で実に24回目という長い歴史を誇るコンサートでした。
思えば、関西以外の場所で宗次郎さんのコンサートを聴くのは初めてでしたし、何より、文字通り大自然の中で、宗次郎さんのオカリナの音色を聴くことも初めてのことでした。
コンサート会場に到着した頃より雨が降り出し、やがて開演時間の頃には本降りの大雨となりました。
その影響で、少し遅れてコンサートが始まりました。
(思えば、僕が宗次郎さんのコンサートに出かけた日の天気は、2015年3月の大阪・貝塚は晴れでしたが、その後、平安神宮、枚方、根尾とずっと雨続きで、2017年6月の奈良・斑鳩でようやく晴れました…。僕自身は晴れ男で、宗次郎さんも晴れ男らしいのですが、この雨率の高さは一体…?)
あいにくの土砂降りの雨の中でのコンサートとなってしまいましたが、山間の谷間に響く宗次郎さんのオカリナの音色は、さすが素晴らしく、これがもし快晴の天気だったならば、さらにどんなに素晴らしいだろうかと悔やまれました。
でも、こうなったら雨もまた、自然の摂理だと思うことにして、雨の音とともに演奏を楽しみました。
中でも特に素晴らしかったのは、地元根尾の中学生の子供たちと宗次郎さんとのオカリナ大合奏でした。
聴いていて、この日のためにすごく練習してきたことが、とてもよく伝わってきました。
やはり、真剣に取り組んで生み出される音楽は、人の心を打つ音色になるのだということが、よくわかりました。
皆、素晴らしく上手い演奏でした。宗次郎さんも称えておられました。
この根尾の“淡墨桜コンサート”。関西からは毎年行くには遠いので、ちょっと大変ですが、また機会があればぜひ行ってみたいなと思っています。(今度は晴れて、満天の星空の下でというのが理想ですね…)
宗次郎さんのコンサートは、聴きに行く度に色んなものを頂いているような気がします。
それは感動だったり音楽的な発見だったり…。もちろん純粋に聴いて楽しむ喜びも頂いています。
宗次郎さんのコンサートに行けば行くほど、自分自身、音楽家として成長して行けています。
僕ももらうだけでなく、人にそういった喜びを与えていけるような音楽家になって行きたいです。
2017年になり、宗次郎さんのアルバム集めも順調に進み、残りは『土の笛のアヴェ・、マリア』だけとなりました。
また、自身の音楽活動も、ケルトのホイッスルによる癒し系音楽の“ヒーリング・ホイッスル”ブランドを確立し、新たな活動を開始しました。
(※注:2022年度以降はさらに進化し、“バンブーフルート(竹の横笛)“をメインに演奏する笛として、作曲・演奏活動を展開しております)
そんな折、2015年12月の大阪・枚方公演以来の関西でのコンサートが開催されることを知りました。
場所は奈良県斑鳩町のいかるがホール。あの“法隆寺”で有名な町です。
自分自身、10数年ぶりの法隆寺訪問も兼ねて、通算8回目の宗次郎さんのコンサートに行き、『土の笛のアヴェ・マリア』を購入してサインもしていただこうと心に決めました。
この斑鳩公演も大変素晴らしい内容で、公演後のサイン会でも、バッチリとCDにサインしていただけました。
こうして、宗次郎さんのコンサートに通い、美しい音色に感動する(あとCDにサインを頂く)度に、ますます宗次郎さんのことや宗次郎さんの音楽のことが大好きになって行きました。
宗次郎さんのすべてのオリジナルアルバムがそろった今、この宗次郎さんの素晴らしい音楽のことを、より多くの方に知っていただきたい、共感したいとの思いから、CDレビュー・紹介記事を書いています。
また、自分自身の音楽的成長を期する意味でも、宗次郎作品のティン・ホイッスルによるカバー演奏にもチャレンジしてます。
僕が宗次郎さんの音楽を演奏する時、僕を素晴らしき音楽の世界へと導いて下さった、宗次郎さんと宗次郎さんの音楽に対する深い敬意と感謝の思いを込めて、演奏をしていきます。
今後も可能な限り多く、宗次郎さんのコンサートに足を運んでいきたいです。また、その模様は当サイトにも書いて報告していきますので、ぜひぜひご愛読下さい。
長文になりましたが、お読み下さりどうもありがとうございました。
~宗次郎さんの音楽を愛するすべての方へ、感謝を込めて~
上記は、旧ブログに連載した記事「宗次郎さんの音楽との出会い~そして、素晴らしき音楽の世界へ」をまとめ直した文章です。
2017年に旧ブログに連載した記事「宗次郎さんの音楽との出会い~そして、素晴らしき音楽の世界へ」の原文は、PDFアーカイブ化して、以下にまとめています。
尊敬する音楽家、オカリナ奏者の宗次郎さんの音楽との出会いのことや、宗次郎さんの音楽から学んだことなどを記事にしています。
全12話です。
(第1話)
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