<敬愛する久石譲さんの音楽>

僕が尊敬し影響を受けた音楽家として、以前、オカリナ奏者の宗次郎さんとの出会いや影響について紹介し、連載しました。(記事『宗次郎さんの音楽との出会い~そして、素晴らしき音楽の世界へ』)

 

笛吹きとしては宗次郎さんの影響が大きいですが、作曲については、久石譲さんを最も尊敬し、多大な影響を受けたと自覚しています。

 

そこで、宗次郎さんの記事と同様に、久石譲さんの音楽との出会いや、その後受けた影響などについて、紹介したいと思います。

 

 

宮崎駿監督の作品など数々の映画音楽で知られ、現在の日本を代表する作曲家として、活躍しておられます久石譲さん。

 

僕が最も尊敬する作曲家の一人であり、久石さんの音楽との出会いが、僕が作曲を志す大きなきっかけとなったことを、よく覚えています。僕が久石さんの音楽を聴いて、その音楽が深く心に刻まれる体験をしたのは、小学生の頃でした。

 

小学生だった当時は、“久石譲”という人も名前も、何も知らない状態でしたが、強く印象に残った音楽がありました。

その一つが、『風の谷のナウシカ』の音楽。そして、もう一つが、NHKスペシャル『驚異の小宇宙・人体』の音楽でした。

 

エレクトーン講師の母親のもとで育ったので、普段から音楽に親しみ、ある程度の音感や感性は、小学生の頃に芽生えていたと思います。

 

そんな小学生の、たしか24年生くらいの頃だったと思いますが、宮崎駿監督作品『風の谷のナウシカ』を観ました。

映画館ではなく、TV放映で観ました。

 

ナウシカのTV放映は、調べたところ、80年代には“198546日”、“1986725日”、“1988722日”と三回放映しているようですので、そのどれかだと思います。(多分1985年かなと思います)

 

『風の谷のナウシカ』は、小学生だった自分には、少し難しかったかもしれませんが、独自の世界観や美しい映像に見入ったのを覚えています。

そして、中でも強く印象に残ったのが、音楽でした。

 

『風の谷のナウシカ』の音楽といえば、やはりあの、“ラン・ランララ・ランランラン”のメロディーが思い浮かぶことだろうと思います。

実はこのメロディー、映画の中では2種類のアレンジで流れます。

 

一つは、久石さんのお嬢さん(歌手の麻衣さん・当時4歳)が歌ったバージョン。

もう一つが、少女の声とギター&タンバリンの伴奏によるバージョンがあります。

 

このバージョンは、ナウシカの幼少期の回想シーン(王蟲の赤ちゃんを隠していて、大人に見つかり連れ去られるシーン)で流れますが、このシーンとその音楽が脳裏に焼き付いて、離れませんでした。

 

それほど、強い印象が残った音楽でした。

また、風の谷のシーンで流れた、民族音楽風の曲もとても印象に残りました。

 

今思えば、これが、久石さんの音楽に感動し、惹かれた最初の体験だったと思います。

 

こうして、宮崎駿監督作品『風の谷のナウシカ』を観て、強く印象に残った久石譲さんの音楽。

とは言え、まだ小学生だった自分には、これが何という作曲家の曲で…という所までは意識できませんでした。

 

そして、久石さんのお名前も知らないまま、小学生高学年になった僕は、再び久石譲さんの音楽に魅了されることになります。

それが、1989年に放送された、NHKスペシャル『驚異の小宇宙・人体』の音楽でした。

 

この番組は、タモリさんが司会を担当し、様々な映像やグラフィックスを使って、人体の神秘に迫っていくというドキュメンタリー番組で、親と揃って毎回欠かさずに見ていました。

 

わかりやすくビジュアル豊かに描き出された人体の世界は、小学生ながら、とても興味深かったのを覚えています。そして、番組を彩り豊かにしていたのが、久石さんの音楽でした。

 

小学6年生だった当時、母親が好きでよく聴いていたシンセサイザー奏者・喜多郎さんの音楽を、自分自身も聴くようになり、シンセサイザーの音に興味を持ち出した頃でしたが、『驚異の小宇宙・人体』の音楽もまた、シンセサイザーを多用した音楽でした。

 

シンセサイザーの音ながら、優しいメロディーラインだったり、またある時は、ミクロの世界とシンクロしたかのような、細かい音型を繰り返す不思議な音楽に、耳が釘付けになりました。(のちに、高校生になってから、このような音楽が“ミニマル・ミュージック”と呼ばれるものであることを知ります)

 

映像とともに、この不思議で魅力的な音楽を聴くことも、とても楽しみでした。

 

このように、『風の谷のナウシカ』と『驚異の小宇宙・人体』の音楽が、小学生だった僕を魅了した、2つの久石譲さんの作品でした。

もっとも、当時の僕は、“久石譲”という名前も人も知らなかったし、この2つの音楽が同じ人が作ったものだということも知りませんでした。

 

そして、久石さんのことを知らないまま中学生になった僕は、オカリナ奏者・宗次郎さんの音楽に出会い、オカリナの演奏に熱中していきました。

 

そんな僕の中で、次に、久石譲さんのことを強く意識する出来事が起こったのは、高校生になったある日のことでした。

 

中学時代にオカリナの演奏を始めた僕は、高校生になった頃、近くの子供会のようなところなどで、小学生の子供達にオカリナを吹いてあげたり、一緒に音楽を演奏してあげたりしていました。

 

そんな子供達に人気だった音楽が、宮崎駿さんのアニメの音楽でした。

 

宮崎さんの映画は、第1話で書いたように、小学生の頃に『風の谷のナウシカ』を観て、その後『天空の城ラピュタ』も観たと記憶していますが、中学時代には特に見ていなくて、高校生になった当時は、『となりのトトロ』や『魔女の宅急便』は、まだちゃんと見ていない状態でした。

 

そんな中、子供たちは『トトロ』の曲を聴きたがったり、演奏したがったりします。

 

そこで、ぜひ演奏しようと『となりのトトロ』の楽譜に目を通すと、歌詞の中に“月夜の晩に オカリナ吹いてる”とあり、何だかものすごく親近感が湧きました。さらに『魔女の宅急便』の音楽の楽譜にも目を通して、あることに気付きました。

 

両方とも、作曲した人は、同じ名前が記されています。

 

“久石譲”さん…。

 

何て読むんだろう?“ひさいし”かな…?それとも“くいし”?

などと思いつつ、こんなに、優しくてあたたかい音楽を作った人は、一体どんな人なんだろうと興味を持ちました。

 

一方、宮崎駿監督の作品の音楽を演奏するならば、作品もしっかりと観て、その世界観をよく理解しておいた方がいいと思い、小学生の時以来、久々に『ナウシカ』を見返して、さらに当時の最新作だった『紅の豚』まで、一通り、ちゃんと観てみようと考えました。

 

数年ぶりに、高校生になってから、再び鑑賞した『風の谷のナウシカ』。

感動の涙が止まりませんでした。

 

小学生の頃には、難しくてよく分からなかったところが、深く理解できて、作品に込められたテーマ性・メッセージが、ひしひしと心に伝わって来ました。

 

さらに『天空の城ラピュタ』。

ナウシカと同じく、こんなにも深いメッセージが込められていたんだ!と、目から鱗でした。高校生になったことで、小学生の時には気付けなかった、宮崎アニメのすごさ・素晴らしさが実感できました。

 

そして、『となりのトトロ』。

日本の田舎の緑豊かな風景と、その中で織り成す、心あたたまる物語にすっかり魅了されました。

さらに、『魔女の宅急便』『紅の豚』と全て観て、気が付くと、何度も何度も全作品を見返している自分がいました。

 

宮崎駿さんのアニメ映画は本当に素晴らしい!

心の底からそう思いました。

 

そして、その音楽もまた、最高に素晴らしい!と思いました。

 

5作品の映画テロップのスタッフ名を見て、僕はあることを知り喜びに包まれました。

 

宮崎駿監督の映画、5作品とも、音楽担当者の名前は、同じ人物の名が記されていました。そう、あの『トトロ』の楽譜に書かれてあったお名前…“久石譲”!!

 

小学生の時に観た『風の谷のナウシカ』で、強く印象に残った、あの音楽を作った人の名前は“久石譲”さん。

しかも、宮崎駿さんの監督作すべての音楽を担当しておられる!

 

ようやく知った事実に喜び、久石さんに対する興味がどんどんと膨れ上がって行きました。

 

 

小学生の時以来、数年ぶりに宮崎駿監督のアニメ映画を観た僕は、その素晴らしさに心打たれ、宮崎アニメの大ファンになって行きました。

 

そして、久石譲さんの音楽に魅了され、深く興味を持った僕は、ちょうど高校2年生の夏休みの頃だったと思いますが、久石さんのCDを集めるべく、CD屋さんに行きました。

 

ちょうどその頃は、宗次郎さんや喜多郎さんのCDをよく買っており、ニューエイジ・ミュージックのコーナーに並んでいる、様々なアーティストに興味を持ったり聴いたりしていた頃でした。

 

CD屋さんやレンタルCD店では、大抵アーティスト名の50音順で並んでいます。

 

アカサタナ…の順に、例えば、カ行の所に“喜多郎”、サ行の所に“宗次郎”、ナ行の所に“西村由紀江”、そして、ハ行の所には、“姫神”のとなりに“久石譲”コーナーがありました。

 

宮崎アニメの音楽を目当てに、久石さんのコーナーを眺めていて、ハッと、ある商品に目が留まりました。

それは、『NHKスペシャル“驚異の小宇宙・人体”サウンドトラック/音楽 久石譲』。

 

あの、『ナウシカ』とともに、小学生だった頃の僕の心を捉えた、『驚異の小宇宙・人体』の音楽。

あの素晴らしい音楽も、久石譲さんだったのか!!

 

驚くと同時に、大きな喜びを感じました。

(この頃に買った、宮崎アニメのサントラや『驚異の小宇宙・人体』のCDは、今でも愛聴しております。)

 

ますます、久石譲さんの音楽が大好きになり、久石さんが音楽を担当されたTV番組や映画も、どんどんと見るようになりました。

 

そうしている内に、それまでオカリナ一辺倒だった、僕の音楽的な志向が変わり始めました。

 

オカリナだけでなく、久石さんのような素晴らしい音楽が作れるようになりたいと思い、作曲やキーボードの演奏、民族音楽なども真剣に学び、音楽系の大学に進んで本格的に学びたいと決心しました。

 

そして、次第にオカリナの演奏からは離れていき、エレクトーン講師である母親に師事し、鍵盤楽器や音楽理論を学びました。

将来は、自分が作った曲を通して、多くの人に感動を与えられるような、音楽家・アーティストになりたいと夢を抱き、高校卒業後の進路を決めました。

 

こうして、作曲法を含め、総合的に音楽を学ぶようになった僕は、久石さんの他、それまでよく聴いていた宗次郎さんや喜多郎さん、姫神(星吉昭)さん等など、ニューエイジ音楽(ヒーリング・癒し系音楽)の名音楽家と呼ばれる人の作品を、国内外問わず、どんどん聴いて学んでいきました。

(基本的な音楽ジャンルは、ニューエイジ、ヒーリング、インスト、映画音楽などがメインでした。その他、クラシック、民族音楽など色んなものを聴きました。個人的な好みはどちらかと言うと、静かな音楽やメロディー豊かな音楽が好みでした。)

 

CDを聴くだけでなく、コンサートで生演奏に触れることの大切さ、面白さも知るようになっていたので、ぜひ、久石さんのコンサートにも行ってみたいな…と考えていました。

 

そんな矢先、19949月に大阪・厚生年金会館で久石さんのコンサートが開かれることを知り、喜んで行くことにしました。

 

ついに、あの久石譲さんの生演奏が聴ける!!

1994年の9月、僕は、初めて行く久石さんのコンサートを心から楽しみに、その日が来るのを待ちました。

 

そして、やって来たコンサート当日。僕は会場の、大阪・厚生年金会館に向かいました。コンサートが開かれるのは、ここの中ホールでした。

(今でこそ、久石さんのコンサートは大規模なホールで開かれるのが普通ですが、この時は、やや規模の小さい中ホールでの開催でした)

 

コンサートのタイトルは、“JOE HISAISHI CONCERT TOUR ’94 地上の楽園”大阪公演。

久石さんの新しいオリジナル・アルバム『地上の楽園』の発売に合わせて組まれたツアーで、全国6公演のようでした。

 

今まで、CDや宮崎アニメなどで聴いていた、あの美しく優しい、あたたかなメロディーに生で触れられる!

期待に胸を膨らませて、ホール内に入りました。

席はなんと、一番前の席でした。

 

客席について、僕は舞台上を見渡しました。

ステージの真ん中には、大きなグランド・ピアノがありました。(きっと、このピアノを久石さんが弾くんだろうな…。)

そして、ピアノの周りを見渡した時、何だか、嫌~な予感がしました。

 

ライトの薄明かりの中で、キラリと光っている、エレキギター・エレキベース・ドラムスのフルセット、シンセにボーカル用マイクが34本…。

 

これって、どう見ても、ロックバンドの編成では…。

 

当時、高校2年生だった頃の僕は、どちらかというと静かなニューエイジ・ヒーリング系の曲を好み、久石さんのコンサートでも、ピアノ&ストリングスとかのアコースティックで静かに耳を傾ける曲や、シンセが入ったとしても、ファンタジックな雰囲気のミニマルや民族音楽路線の曲を期待していました。

 

宮崎アニメで言うと、ラピュタやトトロ、魔女の宅急便のような、メロディー豊かな優しい音楽ですね。

そんな期待が、ステージ上のセットの様子を見た瞬間、一抹の不安に変わりました。

 

もしかして、期待している、そういう曲はやってくれないのかも…。

 

そんなことを思っている内に、開演時間を迎えました。

 

ステージにライトが輝き、頭にバンダナを巻いて、首にはネックレス、Tシャツ(ノースリーブシャツだったかも)にジャケット、靴はスニーカーという、なかなか派手な出で立ちのおじさんが登場しました。

 

初めて、生で見た久石譲さんでした。

 

そして、コンサートが開幕…したのは良かったのですが、一曲目から爆音を響かせたロックなステージで、開演前の悪い予感が的中してしまったのでした…。

 

ドラムがビートを効かせたド派手なステージで、久石さんもピアノだけでなく、ショルダー・キーボードでディストーション・サウンドを鳴らしまくったり、マイクを握ってボーカルに参加したり、中にはラップもあったりする曲目で、客席に手拍子をあおったり、ダンサブルなライブが展開されました。

 

今現在の自分ならば、割とどんなジャンルの音楽でも楽しんで聞くことができる感じなのですが、思いっきりニューエイジ音楽志向だった、当時の高校2年生だった自分にとっては、このコンサートの内容は、完全に期待していたものとは異なるステージでした。

 

目の前で、それこそ踊るように体を揺らしながら、マイクの前で歌いまくる久石さんのお姿に、最前列の客席で、正直ドン引きしていました。(久石さん、ごめんなさい…汗)

 

現在の、オーケストラ・スタイルで、燕尾服姿で指揮棒を振るう、クラシックな感じのコンサートをされておられる久石さんの姿しか知らない方には、この時のコンサートのようなロック・ミュージシャンな久石さんの姿を、全く想像できないかもしれませんね。

 

結局、期待していた宮崎アニメの音楽は、ほとんど無く(ナウシカのメインテーマを少し弾いた程度)、終始、ロックでパワフルなコンサートとなりました。

 

もっとも、このコンサートはアルバム『地上の楽園』のツアーなので、そのアルバムの曲がメインになっていたのは、至極当然なことだったのかもしれません。

 

そして何より、この『地上の楽園』というアルバム自体が、久石さんの数多い作品の中でも、異色作だったのでした。

(逆に、ロックでポップでパワフルな久石さんを聴いてみたい人にはピッタリかも…)

 

期待していた、聴きたいと思っていたタイプの久石譲さんの音楽は、このコンサートでは楽しむことができませんでした。

 

後になってから知ったのですが、久石さんを特集した新聞記事で、次のようなことを知りました。

 

それは、「“久石譲と言えば宮崎駿アニメ”というレッテルを、いつも貼られることに、一時期うっとおしく思うようになり、インタビューなどでも、宮崎アニメについて訊かれても、一切答えないという時期がありました。」と、久石さんが語っておられる記事を読みました。

 

もしかしたら、この『地上の楽園』コンサートをしていた頃が、ちょうどその時期だったのかもしれません。

 

でもその後、久石さんは、宮崎駿さんが時代のオピニオン・リーダー的な存在だと再認識し、このままではいけないと思い直して、宮崎さんが尊敬する司馬遼太郎さんの著作などを読み込んで、宮崎さんの世界をより深く表現できるように、と努力されたそうです。

 

また、『地上の楽園』という異色アルバムが出た当時、久石さんの作風が、いつも(?)のメロディアスなイージーリスニング路線ではなく、ビートを前面に出したポップ・ロック路線に変化していた時期でした。(『人体Ⅱ脳と心』や『キッズ・リターン』など)

 

久石さんとしては、新たな表現を追求する過程だったのかもしれませんが、宮崎アニメの曲のような音楽を期待してコンサートに行った身としては…。(タイミングがちょっと悪かったかなと…)

 

ともあれ、生まれて初めての久石さんのコンサートは、散々な第一印象となってしまったのでした。

久石さんの音楽性の幅広さを知るという意味では、有意義でしたが…。

(実際、8090年代前半の久石さんは、ポップな曲も割と多かったので、ロック・ミュージシャンのJoe Hisaishiもまた、久石さんの音楽性の一部と言えます)

 

ちなみに、『地上の楽園』のCDですが、現在では時々聴いたりして、楽しんで愛聴しています。

 

 

初めての久石さんのコンサートは、期待していた雰囲気とは異なる、異色作『地上の楽園』コンサートとなってしまいましたが、だからと言って、久石さんの音楽が嫌いになるわけではなく、変わらずCDや宮崎アニメを観たり、久石さんが音楽を手がけたTV番組や映画をチェックしては、音楽の勉強を続けました。

 

1996年に大阪芸術大学音楽学科に進学した僕は、和声法など課題の学習の他、図書館で久石さんの楽譜を見たり、CDを聴いたりして楽曲分析し、作曲の勉強に励みました。

 

また、大阪芸大の授業では、音楽技術・テクノロジー関連の授業でミニマル・ミュージックに関する講義も受けました。

 

テリー・ライリーやフィリップ・グラスの作品などを聴いて、ミニマル・ミュージックがどのように作られているかを学ぶのですが、たしかに、久石さんがミニマル音楽出身で、その要素・影響が非常に大きいことが、よく分かりました。

 

音楽を学びながら思ったことは、久石さんの作品から学ぶことは、とても多大なものがあるということでした。

 

宮崎アニメの音楽以外でも、『I am』や『My Lost City』といったオリジナル・アルバムにも耳を傾けると、メロディアスなピアノ・サウンドを堪能できました。やはり、あの『地上の楽園』コンサートは異色だったんだなあと思い、自身が触れる初コンサートとしては、タイミングが悪かったのかも…と思ったりしました。

 

そんな中、この年(1996年)の夏、久石さんが手がける宮崎さんの新作『もののけ姫』のイメージアルバムが発売され、早速購入しました。

 

イメージアルバムというCDは、映画本編のサウンドトラックを作る前に、宮崎駿監督から、映画の物語のキーワードとなる言葉やメッセージ・概要などが久石さんに伝えられ、それらを元に、久石さんがイメージを膨らませてアルバムを作るという、ジブリ作品特有のイメージ音楽集のCDです。

 

そのイメージアルバムを宮崎さんが聴いて、映画本編のどの部分に、どんな曲を入れるのかを、打ち合わせて決めていくというスタイルだそうです。

 

映画『もののけ姫』は、翌年1997年の夏に公開でしたが、そのイメージアルバムは、前年1996年の夏に発売されました。

大好きな宮崎アニメの新作ということで、高い期待を込めて、買ってきた『もののけ姫イメージアルバム』を聴きました。

 

一曲目「アシタカ𦻙記(せっき)」から、大きな衝撃と感動を受けました。

 

今までの久石さんの音楽を上回る、壮大なスケール感のあるメロディーとサウンド、そして、日本的・東洋的な音世界に耳が釘付けとなりました。

 

「すごい!これは本当にすごい!」心からそう思いました。

久石さんは、さらに新たな次元・領域に達したと感じました。そして、そのまま全10曲を一気に聴きました。

 

久石さんは、やはり偉大だ!と思いました。そして同時に、映画『もののけ姫』がものすごい傑作になると予感しました。

 

『もののけ姫イメージアルバム』は、その後、毎日毎日くり返し聴きました。

 

久石さんのCDの中でも、特にお気に入りの作品となりました。もし今、自分の持っている久石さんのCDで、お気に入りのベスト3を選べと言われたら、僕は間違いなく『もののけ姫イメージアルバム』を入れます。

 

そんな風に、久石さんの音楽に感動し、久石さんの音楽から多くのことを学ぶ日々を過ごしている内に、やはり久石さんの生演奏を聴きたい、久石さんのコンサートを聴きたい、それも、あの、前の時にようなバンドのスタイルではなく、できる限りシンプルな楽器編成で、静かな路線の演奏会を聴きたいと願うようになりました。

 

その願いが届いたかのように、199612月に、久石さんのピアノのみという、リサイタル形式のコンサートが開催されることを知りました。

 

早速、チケットを購入しました…が、久石さんのコンサートの第一印象があれ(94年のコンサート)だっただけに、一抹の不安を感じはしましたが、さすがにピアノ・ソロのコンサートだから、前の時のようなことにはならないだろうと、久石さんのことを信じて(?)、コンサート当日を楽しみに待つことにしました。

 

そしてやって来た19961227日。

 

僕にとって、2回目となる久石譲さんのコンサートを聴きに、会場である、大阪・いずみホールに向かいました。

 

会場に到着し、ホール内の客席につきました。

席は、後ろ寄りのやや右側の辺りでした。ステージ上を見て、本当にグランド・ピアノだけなのを確認してホッとしました。以前の、1994年のコンサートのようなことには、ならずに済みそうだと…。(それほどまでに、あのコンサートが自分にとってトラウマになっていたのでした)

 

開演時間となり、ステージ上に久石さんが登場されました。

 

頭にバンダナを巻いてはおられましたが、服装はクラシック・ホールに合わせたかのように、落ち着いたシックな感じの出で立ちでした。(ちなみに久石さんは、19931997年ごろにかけて、頭にバンダナを巻いておられました。そして、1998年長野パラリンピックの頃を境に、バンダナを取られました)

 

コンサートのタイトルは、“Piano StoriesPiano Solo Night”。

その秋に発売されたニューアルバム『Piano Stories Ⅱ』をタイトルに冠したコンサートです。

 

ピアノの前に座った久石さん。僕は、五感をステージ上の久石さんに集中させました。

 

一曲目の演奏が始まった瞬間、僕の心に、大きな喜びが広がりました。

 

あの『驚異の小宇宙・人体』のテーマ曲「The Inners 遥かなる時間の彼方へ」でした。そう、小学生の頃に聴いて、心に残った名曲です。

 

僕が聴きたかった久石さんのコンサート、久石さんの生演奏はこれだ!と、大感激しました。

 

ピアノのみという、超シンプルなコンサートなのに、次々に披露される久石さんの美しいメロディーは色彩豊か。素晴らしいコンサートでした。

 

曲間MCも落ち着いた雰囲気で、とても丁寧にお話しされる久石さんのお姿が印象的でした。

 

MCで印象に残った言葉としては、「ここ数年は、“日本”を大きなテーマとし、どう表現するかに取り組んでいる」という言葉。

これを聞いて、僕の脳裏には『もののけ姫イメージアルバム』が浮かびました。

 

そしてもう一つ、1998年開催の長野パラリンピックのプロデューサーを務めることと、それに向けた想いを語られたことが印象に残りました。そして、その長野パラリンピック・テーマ曲「Asian Dream Song」が披露されました。

 

五音音階を基調にしつつ、とても力強く、雄大さも感じさせるメロディーが印象的でした。

 

アンコールでは、となりのトトロの「風のとおり道」の演奏が聴けて、心から嬉しかったのをよく覚えています。

 

自身2回目となる久石さんのコンサート。本当に素晴らしく、感動に包まれました。

ずっと聴きたいと願っていた、これぞ久石譲さんの音楽、という演奏会をやっと楽しむことができました。そして、久石さんへの尊敬の念が、ますます大きくなりました。

 

このコンサートの感動を胸に、僕は、さらに音楽の勉強に取り組んでいきました。

 

そして翌年1997年の夏、大学2年生になった僕は、ある映画に心を強く打たれることになります。

それが、久石さんが音楽を担当する、宮崎駿監督の最新作『もののけ姫』でした。

 

 

 

久石譲さんのコンサートに行った19961227日から約10日後。

 

たしか、1997年の17日か8日だったと思います。僕は救急車で運ばれて、緊急手術を受けることになりました。

その前日あたりから、腹部に痛みがあったのですが、容態が急変し救急車で運ばれました。

 

急性虫垂炎だったのが、治療が遅れてしまったために、虫垂が破裂してしまいました。そのため、腹膜炎を起こし、緊急手術が必要な状態でした。

 

手術があと少しでも遅れていたら、命の危険もある状況でした。

 

手術後も入院し、退院後もしばらく通院が続きました。

あんなにも、楽しく幸せな気持ちになれた久石さんのコンサートから、数日後には、手術を受けて入院している…。

 

人間の人生というものは、どうなるか分からないものだなあと思いました。

 

結局、療養期間中は、大学に通うこともできず、自宅で音楽の勉強をして過ごしました。

ちょうど、大学は定期試験の時期を迎えていましたが、体力がある程度回復し動けるようになった頃に、追試を受けました。そして、無事に進級することができました。

 

その後、すっかり回復し、2回生になった4月。僕は1回生の時以上に音楽の勉強に取り組みました。

病気で入院したり、手術する経験をすると、健康に生活できることの素晴らしさや大切さが、身にしみてよく分かるものです。

 

そして何より、もうあと3か月もすれば、久石譲さんが音楽を担当する、宮崎駿監督の最新作『もののけ姫』が公開されるのです。

期待で胸がいっぱいで、楽しみで楽しみで仕方なかったのを、よく覚えています。

 

そして、いよいよやって来た19977月。

僕は公開後すぐ、『もののけ姫』を観に映画館へ行きました。

(実は、宮崎駿監督作品を劇場で鑑賞するのは『もののけ姫』が初でした。ジブリ作品としては、1995年の『耳をすませば』を映画館で観たので、2回目ということになりますが、それまでは専らTVで見ていました)

 

圧倒的な映像美と奥深いテーマ性をたたえた物語。そして、久石さんの壮麗な音楽は、僕の心を強くとらえました。

鑑賞後は、すぐにサントラを購入し、毎日毎日聴き続けました。

 

“生きろ”というのが、『もののけ姫』のキャッチ・コピーでしたが、本当に、生きていて良かったと思えるほどに、深く感動しました。

 

また、実は『もののけ姫』を観て嬉しいことを発見しました。

 

映画のパンフレットを購入して、音楽担当の久石譲さんのプロフィールを読むと、なんと誕生日が126日と書かれていたのです。

僕自身も126日生まれで、尊敬する久石さんと同じ誕生日だと知った時の喜びは、とても大きなものでした。

(久石さんの誕生日と同じ日に生んでくれた母親に感謝!!)

 

『もののけ姫』は、約1か月後の盆休みの時期に、もう一度観に行きました。

2回、映画館で観たことになりますが、1回目が大阪で、2回目は福井の映画館で観ました。

 

『もののけ姫』から大きな感動をもらった僕は、自分自身も多くの人に感動を届けられるような、そんな作品を創れるようになりたいと思い、もっともっと音楽の勉強を頑張ろうと思いました。

 

『もののけ姫』熱が冷めぬ中、2回生後期の授業期間が始まった大学生活。

その年の秋、大きなイベントを体験することになりました。

 

毎年、母校の大阪芸術大学では、演奏学科を主体とするオーケストラ・大阪芸術大学管弦楽団の演奏会が開催されています。この年の秋も開催されたのですが、その演奏会に、オーケストラ・バックの合唱団に、一員として参加することになりました。

 

曲は、メンデルスゾーン作曲『交響曲第2番“讃歌”』。

ベートーベンの第9と同じく、第4楽章に合唱が加わる、壮大なシンフォニーです。

 

それまでは、客席側からでしか見たことがなかったオーケストラ。そのオーケストラの演奏を、ステージの内側・舞台上から間近に見る絶好のチャンスでした。

 

会場は、大阪のザ・シンフォニーホール。

国内有数のホールのステージに立てたのは、大きな思い出になりました。

 

折しも、映画館で『もののけ姫』を観て以来、毎日のように聴いていた『もののけ姫サウンドトラック』は、オーケストラをメインにした楽曲。

 

大阪芸大管弦楽団・演奏会の体験とも相まって、オーケストラ・サウンドへの興味がとても高まりました。

それまでは、シンセサイザーをメインに、ヒーリング曲やミニマル音楽を勉強していた僕は、独学でオーケストレーションの勉強も始めました。

 

芸大オーケストラの演奏会以来、メンデルスゾーンの音楽が大好きになった僕は、メンデルスゾーンのオーケストラ作品のスコアを集めました。そして、そのスコアを使い、楽曲分析・オーケストレーション分析をしたりして、学んでいきました。

 

オーケストレーションについて知れば知るほど、久石さんのオーケストラ編曲が、とても緻密で計算された、見事なオーケストレーションであることが分かりました。

久石さんのすごさ、素晴らしさを再認識することができました。

 

『もののけ姫』公開後、映画の大ヒットにあわせて、主題歌・サントラCDもヒットしました。また、長野パラリンピック開催などがあり、久石さんのお名前と音楽は、より多くの人に知られるようになっていました。

 

そんな中、19981027日に「PIANO STORIES’98 Orchestra Night」と題する、久石さんのオーケストラコンサートが開催されることを知りました。

 

大阪公演の会場は、ザ・シンフォニーホール。

そう、前年の秋に、僕自身が出演したあのホールです。

 

オーケストレーションの勉強をしていた当時の僕にとって、最高の勉強のチャンスと捉え、早速チケットを購入しました。

 

自身3度目の久石譲さんのコンサート。それは、オーケストラによるシンフォニック・コンサートでした。

 

19981027日。僕は会場である大阪ザ・シンフォニーホールにやって来ました。

 

思えば、1993年の宗次郎さんのコンサートや、1997年の大阪芸術大学演奏会など、何かと縁のあるホールです。

会場は満席!それはもう、老若男女問わず、多くの観客が集まっていました。

 

それほどに、久石さんのお名前と音楽が広く知れ渡ったことを物語っていました。

 

客席はかなり後方で、ちょうど、ステージを上から俯瞰して見るような感じの場所でした。

演奏者からは、かなり離れており、演奏の様子はあまりよく見えない位置でした。でも、オーケストラ全体を見渡せるので、オーケストレーションの勉強にはもってこいの席だと思いました。

 

この当時は、まだ久石さんは指揮活動はされておらず、演奏会ではピアノを担当され、指揮者の曽我大介さん指揮・関西フィルハーモニー管弦楽団の演奏でした。

 

ちなみに、このコンサートの前に、TV放送された「題名のない音楽会」の久石譲さん特集回で、指揮を担当されたのも曽我大介さんでした。今では、久石さんも指揮をされますが、久石さんがピアノだけでなく指揮をされるようになったのは、2002年頃以降のようです。

 

コンサートが開演し、何と最初は『ナウシカ』の組曲でした。

フル・オーケストラで聴く“ナウシカ”の音楽は格別でした。久石さんのオーケストラ・ライブ盤CD収録の「ナウシカ」組曲は、家で何度も聴いていましたが、生演奏で聴けて最高でした。

 

ナウシカに続き、久石さんが音楽を担当された作品の音楽が、次々に披露されました。

金曜ロードショー(当時)のOPテーマ「Cinema Nostalgia」や、映画『時雨の記』テーマ「la pioggia」、映画『HANA-BI』テーマ曲などです。

 

Cinema Nostalgia」の紹介の際には、当時お亡くなりになった『耳をすませば』監督の近藤喜文さんについて、語っておられたのがとても印象に残っています。

(当時の金曜ロードショーOPアニメーションの、作画・演出を担当しておられたのが、近藤喜文さんでした)

 

休憩をはさんで、後半は、交響組曲『もののけ姫』でスタート。

 

フル・オーケストラの生演奏で聴く『もののけ姫』の世界は、本当に圧巻でした。ちょうど、一年ほど前に、映画館で観てから毎日のように聴いたサントラの曲が、目の前で繰り広げられているわけですから、感動もひとしおでした。

 

久石さんの音楽の中でも、壮大なスケール感があるタイプの曲は、やはりオーケストラで聴くのが一番だと思いました。

 

他に印象に残った曲目としては、長野パラリンピック・テーマ曲「Asian Dream Song」がありました。

2年前のコンサートでは、久石さんのピアノ・ソロでしたが、この日はオーケストラ・バージョンを聴くことができて、とても良かったのを覚えています。

 

通算3回目、そして初めて、久石さんのオーケストラ・コンサートが聴けて、大満足の演奏会となりました。

 

これで、バンド・スタイル、ピアノ・ソロ、オーケストラと、久石さんのコンサートでの、3種類の演奏形態を体験できました。その中で、個人的には、オーケストラによるコンサートが一番いいなと思いました。

 

もちろん、ピアノ・ソロのコンサートも味わいがあっていいと思います。が、やはり、久石さんの音楽が持つ奥深さや表現の豊かさ、多彩さを味わうには、オーケストラがピッタリだなと思いました。

 

この日の、素晴らしいコンサートの感動を大切にして、僕はさらに、音楽の勉強を続けていきました。

 

大学を卒業した僕は、音楽とは無関係の仕事で生計を立てつつ、仕事以外の時間をフルに活用して、創作活動に取り組みました。そして、自分の表現したい音楽を追求して行きました。

 

学生の時のように、時間的な余裕はあまりないので、社会に出た頃を境に、コンサートなどにはあまり行けなくなりました。

その代わり、CDで兎に角たくさんの音楽を聴いて、学び吸収していきました。

 

そんな頃に公開されたのが、宮崎駿監督の最新作『千と千尋の神隠し』でした。

学生時代に夢中になった『もののけ姫』以来、4年ぶりの新作ということで、とても楽しみにしていました。公開後はすぐに映画館へ観に行きました。

 

映画館に行くと、とてもよく混んでいました。

 

『千と千尋の神隠し』の上映が始まり、最初のシーン。

お父さんが運転する車の後部席で、無気力に寝そべる千尋…。映像のバックには、聴き馴染んだ久石譲さんのピアノの音色が響きます。

 

ピアノによる、静かで抒情的な美しいメロディー…。ああ、久石さんの音だ…。

なぜだか分からないが、とてつもなく安心感を得られる音です。

 

やっぱり、久石さんの音楽は素晴らしいな…。

そんなことを思いながら、スクリーンを見つめていました。

 

そこからの、車が森の中に迷い込んでからの、音楽の展開は圧巻でした。

突進する車の動きに合わせて、フル・オーケストラによるダイナミックな音楽が、スクリーンからあふれ出てきます。アニメーションと見事にシンクロしており、一気に作品世界に引き込まれました。

 

とにかく、すごい!と感じました。

 

千尋が、トンネルの向こう側の世界に迷い込んでからも、次々と展開される映像マジックに魅了されました。すっかり映画に夢中になり、見入っている自分がいました。

 

そしてまた、バックで流れる久石さんの音楽も、僕の心を魅了しました。

 

オーケストラ・サウンドを基調にしつつも、民族楽器だったり、民族調の音階を取り入れていたりする音楽。前作『もののけ姫』以上に、バラエティーに富んだ、色彩豊かな音楽だなと思いました。

 

劇中のシーンと相まって、とても印象に残る名曲揃いでした。

千尋が釜爺の所に初めて行くシーンの曲(「ボイラー虫」)、湯屋の神さま達の登場するシーンの曲(「神さま達」)、油屋で働く千尋のシーンの曲(「仕事はつらいぜ」)などが印象的でした。

 

が、中でも特に強く印象に残ったのは、次の3曲。

 

まず、おクサレ神の入浴シーンで奮闘する千のシーンでかかる曲(「おクサレ神」)。

 

ポルタメントを多用したストリングスの音が、まさに、おクサレ神の姿をイメージしているかのようです。そのストリングスの間に挿入される、木管楽器の可愛い感じのメロディーが千尋の姿を思わせる、見事な曲です。音楽と映画のシーンが完璧にシンクロしていて、圧巻でした。

 

次に、海の上を走る電車に乗って、銭婆の所へ向かうシーンの曲(「6番目の駅」)。

『千と千尋』の音楽は全体的に、フル・オーケストラによるダイナミックで賑やかな曲が多めです。その中で、この「6番目の駅」は、幻想的な映画のシーンにピッタリ合った、静寂感漂う曲です。

 

他のシーンとの、“静”と“動”の対比に、見事に呼応していると感じました。

この、海の上の電車のシーンは、『千と千尋』の中でも、最もお気に入りのシーンです。

 

そして、千尋が龍の姿のハクの背中に乗って、夜空を飛んでいくシーンの曲(「ふたたび」)。

 

この曲は、メロディーメーカーの久石さんの魅力が、目いっぱいにつまった美しい名曲です。

映画も、このシーンがクライマックスとなっているので、音楽もとても耳に残りました。

 

大満足で映画館をあとにしました。その後間もなく、イメージアルバムとサウンドトラックを入手し、毎日のように聴き続けたことは、言うまでもありません…。

 

『千と千尋の神隠し』の後、2004年には『ハウルの動く城』。そして、2008年には『崖の上のポニョ』。

 

宮崎アニメ以外でも、実写映画『男たちの大和』や『おくりびと』、お茶の「伊右衛門」TVCMなどなど…。

コンサートには行っていませんでしたが、スクリーンやTV画面を通して、久石さんの音楽を堪能しました。そして、色々とCDを買ったりして、久石さんの音楽を聴き続けた20代~30代前半でした。

 

2004年当時、僕は精神的にも経済的にも、非常につらい時期を過ごしていました。

大きな挫折を味わい、何をやっても上手くいかず、失意の日々を過ごしていました。

 

そんな、2004年の夏、久石譲さんがワールド・ドリーム・オーケストラという新たなプロジェクトを立ち上げ、コンサートツアーをされることを知りました。

 

その宣伝を兼ねて、大阪ローカルのテレビ番組に久石さん自ら出演されて、コンサートを告知されていたのを覚えています。大阪でのコンサートは、81日に大阪城西の丸で開催するとのことでした。

 

精神的にどん底の状態だった頃ですが、何故だか無性に、久石さんのそのコンサートを聴きたくなりました。

心が自然と、久石さんの音楽を求めたのかもしれません。

 

でも、経済的にチケットを買う余裕はありませんでした。

大阪城の西の丸での野外コンサートならば、音だけなら少しでも聴こえるかもしれない。たとえ、久石さんのお姿が見れなくてもいい。久石さんが演奏する生の音楽を耳にしたい、久石さんの音に触れたい…。その一心で、僕は大阪城に向かいました。

(外で立ち聞きするのは、本当は良くないことだと思います。この時だけのことですので、どうぞお許しください)

 

事前に、新聞でもこのコンサートのことをが紹介されており、開演時間なども知りましたが、記事を見て驚いたことがありました。

 

コンサートでは、久石さんのオリジナル曲のみならず、ハリウッドの巨匠ジョン・ウィリアムズの『E.T.』など、様々な映画音楽の名曲も披露するとありました。

 

久石さんは、それまでは基本的にカバー演奏などはされずに、自身の曲のみでコンサートをされていたはず…。ですので、久石さんの変化・新境地に大変驚きました。

 

コンサート当日の大阪城公園では、ちょうど夏祭りのようなイベントが開かれており、色んな屋台や出店などで賑わっていました。

そして、イベントの目玉が、久石さんの野外コンサートとなっていました。

 

夕闇迫る大阪城。

僕は、開演時間から少し遅れた頃に、現地に到着したと記憶しています。

 

西の丸庭園の外側の石垣のほとりに寄りかかって、耳をすませました。すると、映画『E.T.』のテーマ曲が聴こえてきました。

演奏している久石さんやオーケストラの姿は見えませんが、音は小さめながら十分に聴こえました。

 

この時の、『E.T.』やハリウッド映画の音楽の演奏が、僕が耳にした初めての、久石さんによるカバー演奏ということになります。

でも、やっぱり素晴らしかったのは、久石さん自身の曲・宮崎アニメの音楽でした。

 

トランペットをソロ楽器としてアレンジされた、『天空の城ラピュタ』の音楽が流れてきました。

 

気が付くと、通りかかった人や大阪城に来ていた人も、よく知っている“ラピュタ”の曲が聴こえてくるので、立ち止まって集まっていました。そして、僕と同じように、石垣のほとりで耳を傾けて聴いていました。

 

澄んだトランペットの音色による「君をのせて」のメロディーが、暮れなずむ大阪城の夕空に響き渡って行きました。

 

僕は、この曲をオカリナで吹いていた高校時代を思い出しました。そして、久石さんの音楽から、数多くのことを学んだ大学時代…。

西の丸から次々と流れて来る、久石さん&ワールド・ドリーム・オーケストラの演奏に耳を傾けながら、今までの様々な想いが脳裏をよぎりました。

 

辺りは暗くなり、コンサートも佳境を迎えアンコールがされています。

そして、『風の谷のナウシカ』が演奏されました。僕が小学生の時に深く感銘を受けた、久石さんの音楽との出会いの作品です。

 

夜空の下で聴く“ナウシカ”の演奏…、まさに心に響いてくるサウンドでした。

姿は見えないものの、目を閉じれば、演奏している久石さんのお姿が目に浮かびました。

 

「ナウシカ」に続いて、フル・オーケストラによる『となりのトトロ』の演奏が聴こえてきました。

「トトロ」のオーケストラ版は、途中に久石さんのピアノ演奏のパートもあり、とても素晴らしいアレンジでした。

「トトロ」の演奏が終わった瞬間、会場内から大歓声と拍手喝采が響き渡って来ました。

 

会場内の、ものすごい熱気と感動が、外にいる自分にも強く伝わって来ました。

辛い失意の時期を過ごしていた自分でしたが、大きな勇気が湧き上がって来ました。

 

やっぱり、僕は音楽が好きだ!

やはり、僕は音楽家になりたい!いや、絶対になるんだ!!

 

強い決意を抱き、再始動のスイッチが入ったのを感じました。

 

久石譲さんの音楽は、人ひとりの人生をも変えるほどの力を持っている。本当にそう感じます。

この日に、大阪城で聴いた久石さんの演奏は、今でもよく覚えています。一生忘れることはないでしょう。

 

久石さんの音に、勇気と元気をもらった僕は、大阪城をあとにしました。

 

音だけ聴くという、自身4回目の久石さんのコンサートとなりましたが、次こそは、絶対にチケットを入手して、久石さんの演奏する姿を見ようと思いました。

 

(おまけのエピソード)

「となりのトトロ」の後、さらにアンコールされ、本当に最後の曲ということで、久石さんのピアノ・ソロで「Summer」が演奏されました。

…が、途中で演奏が止まりそうになるほどの、ミス連発のボロボロの演奏になりました。

 

考えてみれば、この日がコンサートツアーの最終日。数日間に渡り、何時間も指揮と演奏を続けてこられた久石さんは、疲労もピークだったことだろうと思います。

 

それで、最後の最後の「Summer」のピアノ演奏で、疲れで指が動かなくなったのだろうと思います。

隣で聴いていた通りかかった人も、「このピアノ、素人が弾いてんのかなあ?」と言う始末…。(失礼な!!)

 

そんな中、会場内では、久石さんを励ますかのように、大きな手拍子が沸き起こり、最後は久石さんの演奏と会場が、まさに一体となって盛り上がりました。

 

ミスについては、久石さんもまた人間なんだなあと思いつつ、観客の皆さんの温かい手拍子に心打たれました。

 

ちなみに、久石さんのピアノ演奏についてですが、何回か久石さんのコンサートに行ったことがある方なら、よくご存知かもしれません。実は、割とミスが、ちょくちょく有ったりします。

 

よくインタビューなどでも、久石さんご自身で「ピアノは苦手」「自分は上手くはない」といった発言をされておられます。

 ですが、その言葉を真に受けて、「そうか久石さんはピアノが下手なのか…」と思ってしまうのは、大変な誤解です。

 

久石さんは、あくまでメインは作曲家であって、そのイマジネーションを具現化する一つの手段として、ピアノを演奏されています。

ですので、ピアノ演奏を専門とするピアニスト・演奏家の方達と比較すれば、ミスもありますし、安定感も劣るかもしれません。

 

しかし、久石さんは、久石さんでなければ出せないピアノの音、久石さんならではのピアノの音を持っておられます。

言い換えれば、鳴った瞬間、久石さんの演奏だと分かるほど、個性的なピアノの音を有しておられます。

 

また、アルペジオやスケール奏法、オクターブ奏法などなど、鍵盤楽器奏者として豊かで高い技術・テクニックもお持ちです。

(初期の、シンセサイザーをメインに使用していた頃の作品も、シンセサイザー奏者・キーボーディストとして第一級の演奏だと思います)

 

久石さんは、ご本人が言うほど、決して下手というわけではありません。

が、クラシックのピアニストなど、専門の演奏家並みの、ノーミスで安定感のある完璧で高い演奏水準を求めてしまうと…。(あくまで比較論ですが)

 

真に“いい音楽”とは、人の心を揺さぶる、感動を与える音楽です。

久石さんのピアノ演奏は、たとえミスがあったとしても、聴く人の心をとらえ、大きな感動を与えてくれる“音”を有しています。

 

ミスのある演奏も、また個性として愛されるほどに、久石さんのピアノの演奏は、多くの人から聴きたいと思われるような魅力にあふれています。

 

僕は、そんな人間味あふれる、久石さんのピアノの音が大好きです。

 

 

2004年の大阪城の野外コンサートの次に、僕が久石さんのコンサートに行ったのは、ちょうど10年後の2014年。

1231日に開催された、ジルベスター・コンサートでした。

 

その10年間は、久石さんの音楽から離れていたわけでは決してなくて、むしろ、以前にも増して久石さんの作品を色々と聴いて、得られるものや学べることを追求しました。

 

宮崎駿監督の『ハウルの動く城』や『崖の上のポニョ』は映画館に見に行きましたし、イメージアルバムやサウンドトラックも買って、何度も何度も聴きました。

 

宮崎アニメ以外にも、久石さんが音楽を担当された、映画『男たちの大和』や『おくりびと』も観ました。

 

そして思ったのが、久石さんは近年はシンセサイザーはほとんど用いず、オーケストラを主体としたアコースティックな音に、完全にシフトしてしまったんだなあということでした。

 

久石さんの音楽も、少しずつ作風は変化しています。

 

個人的には、80年代~90年代や2000年前後辺りの、ある程度シンセサイザーも使用した、“シンセ+オーケストラ”や“シンセ+アコースティック楽器”といった作風が一番好きです。

 

なので、宮崎アニメのCDは別として、『WORKS』シリーズや、クラシックのカバーCDJOE HISAISHI CLLASICS』シリーズなど、最近の久石さんのアルバムは特に購入したりしていませんでした。(レンタルで借りたりして聴くことはありましたが…)

 

それでも、これだけは買っておかねば、入手しておかねば絶対後悔すると思わせる作品がありました。

それが、『Melodyphony メロディフォニー』というアルバムでした。

 

これは、CDと共に、同アルバムのオーケストラ・スコアを完全収録した楽譜集も同時発売されており、双方をセットで購入することが、自分自身にとって至上命題でした。

 

Melodyphony メロディフォニー』には、「水の旅人」や“伊右衛門”CM曲「Oriental Wind」、「おくりびと」「Summer」といった代表曲を収録。さらに、「魔女の宅急便」や“千と千尋の神隠し”より「あの夏へ」、「となりのトトロ」といった宮崎アニメの人気曲までも収録されていました。

 

それらの曲を、久石さん指揮・ロンドン交響楽団の演奏で新録音されたベストアルバムです。

 

その曲目のラインアップだけでも素晴らしいのに、楽譜集では、久石さん自身によるオーケストレーションを、そのまま完全収録・掲載されたオフィシャル・スコアとなっていました。

 

久石さんの映画音楽のオーケストレーションが、楽譜の形で公開されたことは、それまでほとんどありませんでした。ですので、久石さんの音楽を学び、分析・研究する上では、これ以上ないと思える楽譜集でした。

 

楽譜を読みながらCDを聴くと、久石さんの編曲術を、より深く味わうことができます。

それと同時に、久石さんのオーケストレーションの緻密な構造に驚き、ものすごく勉強になりました。

やっぱり、久石さんの音楽は凄いと、心から思いました。

 

楽譜は見るだけではなく、実際に自ら五線譜に書き写すことで、更なる学習に役立てることができました。

このCDは、今もよく愛聴しています。

 

さて、2000年代後半以降、僕は地道に音楽活動を続けました。

 

シンセサイザーを使い、ヒーリング・ニューエイジ音楽のオリジナル曲を作っては、発表していました。(学生だった頃とは異なり、今はYouTubeなどで、自分で自由に作品を発表できます。個人で活動しているミュージシャンにとって、いい時代になったと思います)

 

また、インストのみではなく、歌を作ることにも挑戦してみようと、ボーカロイドを使った曲なども手がけました。

 

この頃から、他の人にはない、自分だけにしか表現できない音楽を追求しなければ、という意思が高まりました。

もっと、自分の音楽に“核”となるものが必要だと。

 

さらなるオリジナリティーを。自ら独自の音楽を模索し追求しました。

そのように、追求すれば追求するほど、不思議なことに自らの原点を見つめ直したくなりました。

 

学生時代に影響を受けた偉大なアーティストのコンサートに行き、生演奏に触れたくなったのです。

こうして、20149月に喜多郎さん(13年ぶり)、201412月に久石譲さん(10年ぶり)、20153月に宗次郎さん(20年ぶり)と、立て続けにコンサートに行きました。

 

このことが、アシタツ・オリジナルブランドのヒーリング・ホイッスル誕生へと繋がっていくわけですが、その辺りのことは別の記事・宗次郎さんの音楽との出会い~そして、素晴らしき音楽の世界へにて詳しく書きました。

ぜひ、そちらもお読みいただければと思います。

 

その中で、久石さん関連で大きな出来事となったのが、20141231日大みそかに開催の、“久石譲ジルベスターコンサート2014 in festival hall”でした。

 

自身5回目の久石譲さんのコンサートでした。

 

2004年の大阪城野外コンサート以来ですので、実に10年ぶりのコンサートでした。

(今回はちゃんと、前売りチケットをあらかじめ購入しました)

 

会場は、大阪・中之島のフェスティバルホール。

この一公演のみのスペシャルプログラムでした。

 

久石さんは、大阪でのジルベスターコンサートを、何年かに渡って続けてきておられたようなのですが、恥ずかしながら知らなくて、この日が初参加となりました。

 

2000年代後半以降、久石さんは指揮者としての演奏活動も活発化し、コンサートでも、自身のオリジナル曲だけでなく、クラシックの交響曲などもプログラムに取り上げるようになりました。

 

もちろん、クラシックの名曲の生演奏も素晴らしいのですが、個人的には、久石さんのコンサートでは、やはり久石さんの曲を聴きたいという思いがありました。

 

この2014年ジルベスターコンサートは、久石さんの、それも最近の代表作を中心に集めたプログラムでした。まさに、今現在の久石さんの音楽を味わうのに、絶好のコンサートだと思いました。

 

それが、このコンサートに行こうと考えた最大の理由でした。

大みそかにコンサートに行くというのも、新鮮な体験でした。

 

コンサートは17時から。

会場では、大みそかということで、年越しそばのサービスが行われていました。

 

フェスティバルホールは、この年の夏に開催された、母校・大阪芸術大学のコンサート、「プロムナード・コンサート2014 冨田勲・イーハトーブ交響曲」演奏会以来の、約4か月ぶりの訪問でした。

 

客席は、1階後方の隅の方で、必ずしもいい席というわけではありませんでした。

でも、10年ぶりに、久石さんの生演奏を聴ける喜びの方が大きかったのを覚えています。

 

開演時間となり、オーケストラの団員が着席し、久石さんが登場されました。

 

1曲目は「かぐや姫の物語」。

竹の音を思わせるような、甲高い音色のパーカッションを使ったアレンジが印象的でした。

ステージで生み出される“和”の響きに身を委ねていると、まるで、音楽による絵巻物を見ているかのようでした。

 

つづいて、ヴァイオリン独奏が印象的な「Winter Garden」。

休憩をはさんで、「風立ちぬ」の組曲と続きます。

 

「風立ちぬ」では、マンドリンやバラライカといった弦楽器が印象的で、美しいメロディーを奏でました。

 

この時のことで、痛烈に後悔していることがあります。

 

そう、実はこのコンサートの時点で、『かぐや姫の物語』と『風立ちぬ』の映画本編を、まだ観ていなかったのです。

 

当時は、映画館に足を運ぶ習慣から、すこし気持ちが遠のいていました。そのために、『かぐや姫の物語』と『風立ちぬ』を劇場で鑑賞することを逃してしまいました。

 

両作は、このコンサートの後、しばらくしてDVDをレンタルして観ましたが、「映画館に観に行っとけばよかった…」と、ものすごく後悔しました。

 

久石さんの音楽は、映画本編を観ていなくても、十分に楽しめる素晴らしい音楽なのですが、映画を観た上でコンサートを聴けば、より感動が倍増するに違いありません。

 

今の自分ならば、ああ、このメロディーはあのシーンでかかっていたなあ…とか思いながら聴けるのでしょうが…。

その点が悔やまれます。この時のリベンジを果たすべく、今年(2018年)8月のコンサートで、再び「かぐや姫の物語」の生演奏を聴きに行きます!

 

そんなわけで、2014年ジルベスターコンサートは、「かぐや姫の物語」「Winter Garden」「風立ちぬ」「小さいおうち」と、当時の僕にとって知らない、初めて聴く作品が続きました。

 

最近の久石さんの音楽や作風を知ることができて、とても楽しめました。

 

そしていよいよ、コンサートも佳境を迎え、「水の旅人」「魔女の宅急便」「Oriental Wind」が演奏されました。

近年で最も愛聴していたアルバム『Melodyphony メロディフォニー』に収録されている曲です。(第12話参照)

 

何度もCDを聴いて楽譜を読み、時には譜面に書き写して勉強した曲です。それを生演奏で聴けて本当によかったです。

 

アンコールの「One Summer Day」(『千と千尋の神隠し』より)と「風の谷のナウシカ」も素晴らしく、あっという間にコンサートの時間は流れました。

 

久石さんのコンサートは、年々チケット代が上がっていますが、今後も時には奮発して、聴きに行きたいと思います。(手始めに、この夏2018年のワールド・ドリーム・オーケストラのコンサートに行きます!)

 

久石さんのコンサートは人気も高くなり、チケットも取りにくくなってきていますが、聴きに行けば、至高の音楽に生で触れることができます。これこそ、コンサートの醍醐味と言えますね。

 

今後も、久石さんのコンサートに行った際には、このサイトで紹介していこうと思います。

 

さて、長々と、自分自身と久石譲さんの音楽との関わりや想いを書き綴りました。

 

思えば、小学生の時に久石さんの音楽と出会って以来、自分の人生は、久石さんの音楽に包まれて生きてきたなあと思います。

人生の岐路に立った時も、久石さんの音楽が、様々なことを導いてくれたように感じます。

 

現在、演奏活動をする中で、オリジナル曲以外にも、多くのカバー曲も取り上げています。

 

中でも、久石譲さんが作られた作品を数多く含むジブリ音楽は、主なレパートリーとして今後も取り上げていきたいと考えています。

僕を素晴らしい音楽の世界へ導いて下さった、久石さんへの感謝をこめて、笛で吹いていきたいと思います。

 

久石さんは、とても多作なお方で、オリジナルアルバム、サントラCDなどを合わせると、数えきれないほどたくさんの作品があります。

 

僕自身は、久石さんのCDについては、広く多く聴くというよりも、限られたお気に入りのCDを、とことん深く味わって聴くというスタンスです。(ジブリ作品や驚異の小宇宙・人体の音楽など…)

 

ですので、久石さんのCDを全部揃えているという方や、久石さんのコンサートを毎回毎年聴きに行くという方からすると、僕など、まだまだファンとしては甘いかもしれません。

 

でも、久石さんを尊敬する気持ちや久石さんの音楽を愛する気持ちは、深く持っています。

 

特に、ジブリ作品に関しては、映画作品そのものも大ファンであり、久石さんが音楽を担当された、宮崎駿監督作品全作品と高畑勲監督作品『かぐや姫の物語』について、サウンドトラックとイメージアルバムをすべて揃えました。

 

そこで、『風の谷のナウシカ』以降、久石さんが作られたジブリ音楽のサントラ&イメージアルバムの、全曲をレビューする記事を連載しようと思います。

(“久石譲さんのこと:ジブリ音楽レビュー編”のカテゴリーで連載します!)

 

また、久石さんのコンサートの感想や、様々な作品の感想なども、引き続き、この“尊敬する音楽家:久石譲さんのこと”カテゴリーで書いていきたいと思います。

 

今後とも、ぜひ、ご愛読ください。

 お読み下さり、どうもありがとうございました。

 

~久石譲さんと、久石さんの音楽を愛する全ての方へ、感謝をこめて~

 

 


上記は、旧ブログに連載した記事「敬愛する久石譲さんの音楽」を、まとめ直した文章です。

 

2018年にブログに連載した原文は、以下にPDFアーカイブ化して、まとめています。

尊敬する音楽家、作曲家の久石譲さんの音楽との出会いのことや、久石譲さんの音楽から学んだことなどを記事にしています。

全13話です。

 

第1話

第2話

第3話

第4話

第5話


第6話

第7話

第8話

第9話

第10話


第11話

第12話

第13話