<姫神・星吉昭さんの音楽~東北への憧憬>

②深化編Ⅰ

 

姫神のベスト盤MOONWATERが気に入り、アルバム『遠野』を購入した僕。

続いて購入した作品が、当時(199394年)の最新作『炎・HOMURAでした。

 

新聞記事で、“姫神”は岩手を拠点に、東北をテーマとしたシンセサイザー音楽を発表していること。さらに、本名は星吉昭さんということ。そして、NHK大河ドラマ『炎立つ』エンドコーナーの曲「風の祈り」を収録した、アルバム『炎・HOMURA』が発売中であることが、紹介されていました。

 

ちょうど何気なく、『炎立つ』のエンドコーナーを見ていて、姫神の音楽がすごくいいな!と思っていたので、期待して、CD『炎・HOMURA』を買いました。

 

聴いてみて、すごく感動し気に入りました。

 

高校生だった当時の僕は、静かでメロディアスだったり、シンフォニックな感じのニューエイジ曲を好んで聴いていたので、『MOONWATER』とともに『炎・HOMURA』も、自らの嗜好にどんぴしゃりなCDでした。

 

1曲目の「風の祈り」は言うまでもなく、2~4曲目「真秀にたかく月天」「炎の柵」「天地礼讃」の、歴史絵巻を見ているかのような、まるで交響組曲のようなスケール感のあるサウンド。そして、5曲目「蒼い夢」の幻想的なサウンド。さらに、『MOONWATER』で聴いて感動し、お気に入りの曲だった「大地炎ゆ」の新バージョンまでが収録されており、大満足な内容でした。

 

(※姫神作品は、年代によって作風が異なり、<バンド・スタイルでジャズ・フュージョン色もある初期>、<日本的で抒情性のある、メロディアスなニューエイジ音楽の中期>、<ダンス・ビートやヴォイス・歌を導入して、リズミカルでポップな後期>の3つに、大まかに分けられます。その中で、人気と知名度が高いと思われるのは、「神々の詩」に代表されるような後期の作風かと思われますが、自分自身は一番好きなのは中期。それも、中期の後半の作品『炎・HOMURA』と『東日流』を最も愛聴しています。この2作が最も好きというのは、もしかすると姫神ファンの中ではかなり少数派になるかもしれません。とは言え、初期の中でも好きな作品は多くありますし、後期の中でも『風の縄文』『風の縄文Ⅱ久遠の空』は大好きで、何度も何度も聴いています。)

 

そんなわけで、『MOONWATER』と『炎・HOMURA』は、高校生時代に最も愛聴する姫神作品となりました。

 

 

さて、姫神・星吉昭さんの作品とともに、喜多郎さん、宗次郎さん、久石譲さんなど、、様々なアーティストの作品を聴いて、ニューエイジ・ミュージックを学んでいた高校時代ですが、ちょうど、19941995年頃にかけて、それらの方々の作風に大きな変化が生じてきていました。

 

1994年、喜多郎さんはアルバム『マンダラ』を発表。

代表作の「シルクロード」のような、静かでゆったりとした幻想的な作風とは一線を画し、喜多郎さんが若い頃に傾倒したプログレッシブ・ロックに近いスタンスで、ヘヴィーなエレキ・ギター(ディストーション・ギター)サウンドを使い、喜多郎さん自らがギターをド派手に弾いた作品を発表されました。

 

『マンダラ・コンサートツアー』も聴きに行きましたが、胸の骨にまでガンガンと響いてくるような大音響の、終始ロック風味のコンサートでした。いつもCDで聴いていたような、静かな曲調を期待していたわけですが、個人的にがっかりしたのを覚えています。(もっとも、その後のアルバムでは、喜多郎さんは元の静かな作風に戻られました)

 

一方、久石譲さんは、1994年にアルバム『地上の楽園』を発表。

宮崎アニメのような優しい曲調をかなぐり捨てて、リズムを派手に入れた、ロック・ポップ志向の作品をリリースされました。

 

コンサートでは、頭にバンダナを巻き、ショルダー・キーボードを使い、マイクの前で踊るように熱唱するライブ・パフォーマンス。これまた、客席でドン引きしたのを覚えています。(久石さん、ごめんなさい…。でも、今の指揮棒を振るクラシックな久石さんのお姿からは、想像できないかもしれませんね)

 

そして、宗次郎さんは1995年に、アルバム『光の国・木かげの花』をリリース。

それまでのオカリナのイメージを覆すような、ポップな曲調やダンス・ビートを取り入れた、ダンサブルな曲を発表されました。(この作品も、宗次郎さんの異色作と言えます。この作品以外では、基本的には一般にイメージされる通りの、癒しのオカリナ音楽となっています)

 

 

このように、それまで親しんでいたアーティストの方々が、路線変更していた時期でした。

作風が変わる前の、静かな曲調を好んでいた自分としては、それらを聴いて残念な思いを抱いたりしました。

 

もっとも、3人ともその後すぐに、次なる作品・アルバムにおいては、元のニューエイジな路線に戻ったので、ホッとしましたし、今では、アーティストとして違うスタイル・作風に、一度挑戦してみたいと考える気持ちを理解できるようになりました。

 

が、当時のニューエイジ音楽志向の高校生の僕は、正直なところ、そういう思いを抱いていました。

(今では、ダンサブルな曲調も含めて、色んなジャンルの音楽を楽しめるようになりました)

 

 

そんな1995年のある日、新聞記事で姫神特集の記事が掲載されていました。

“実態不明のミュージシャン「姫神」に迫る”という見出しで、見開き2面に渡る、かなり大きな特集記事でした。その記事では、星吉昭さんの詳しいプロフィールなどが、写真付きで紹介されていました。

 

ジャズ・ピアニストを目指し上京。東京で最先端のアメリカ音楽を取り入れようと努力したのち、電子オルガンの奏者兼講師となったこと。その後、岩手県盛岡市のオルガン教室に講師として赴任し、岩手の早池峰山で聴いた神楽など、岩手の伝統芸能や民謡に“ブルース”を感じ、自分の希望する音楽の源がここにあると確信。岩手に根ざした音楽活動に入ったこと。そして、シンセサイザーで作曲を始めたことや、神社仏閣で民俗芸能とジョイントした独自のライブ活動を展開していること。などが紹介されていました。

 

星吉昭さんが拠点としている、岩手への深い思いなども紹介され、とても詳しい興味深い内容でした。

 

さらにその記事では、姫神の最新アルバム・通算15作目『マヨヒガ』が宣伝されていました。

 

こんなにすごい記事を読むと、「欲しい!」と思ってしまうのは自然なこと…。

当然すぐに、CD店へ行き『マヨヒガ』を購入しました。

 

その新聞記事では、『マヨヒガ』については、こう紹介されていました。

 

“マヨヒガ”とは、柳田国男の「遠野物語」に出てくる山中のあやしげな家のこと。横尾忠則氏によるジャケット・イラストが、そのイメージを増幅させる。

また、音楽的な内容については、星さんの談として、「『マヨヒガ』では、高校生の息子から情報提供を受け、ハウス音楽のリズム形態も取り入れた」とありました。

 

今思えば、この息子というのは、2代目姫神・星吉紀さんのことだと分かります。

 

一方、当時、ニューエイジ・ミュージックやクラシックを専門的に学んでいた自分にとっては、“ハウス音楽”というものがどのようなものか、よく分からない状態でCDを買いにお店へ向かったのでした。

 

先述のように、喜多郎さん、宗次郎さん、久石譲さんが、作風が大きく変化していた時期なので、『炎・HOMURA』が素晴らしかった星さんのことを信じて(?)、『マヨヒガ』を買いました。きっと、こころ落ち着ける、ニューエイジ路線の作品なんだろうな…と思って。

 

 

買ってきたばかりの『マヨヒガ』を開封し、CDプレイヤーにセットして、再生ボタンを押しました。

 

“ウオォ~~ッ!! ズン、チャッ!ズッカ ズッチャズン チャッ ズン、チャッ!ズッカ ズッチャズン チャッ!(ウォッ!) ッアケノホーカッラ フックダイゴーグゥー マーイーコーンッダナー!!”

 

 

……さて…、静かで穏やかな曲調を好んでいた、当時の僕は、『マヨヒガ』を聴いてどうなったと思われますか?

 

あまりの、想像の斜め上を行く内容に、まさに、目が点になって開いた口が塞がらないという感じでした。

 

ビートの効いた1曲目の「明けの方から」で、「……へ!?」となり、3曲目「雪」では、「…な、なんじゃこりゃ!?」となり、4曲目「花鳥巡礼」でようやく、求めていたような穏やかな曲でホッとしたのも束の間、「日高見国」や「風のうた」など、それまでの姫神作品とは大きく異なる、激しくダンサブルな、リズムとビートの作品群に、何とも言えない感情を抱きました。

 

 

『マヨヒガ』を聴き終えた時の感想は、

「…姫神さん、あんたもか………。」でした。

 

(※ちなみに、この、姫神作品の一大転機となったアルバム『マヨヒガ』。今ではとても愛聴しております)

 

 

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